
「誰も置き去りにしない」
 SGIの日記念提言(下)を読み終わったあと、戸畑区の税理士18人全員に電話しました。
 本人6、伝言7、不在5、計18人。
 私の感触で◎1人、○2人、△9人、×1人!?
 
 「創価大学の後輩で苦戦しているもんですからまだお決めでなければ……」
 ◎1人は「もうお宅に決めてます。同級生も頑張っていますので!」
 ーー私が電話しなくてもokの方。
 ○2が電話での収穫かも!?
 
 
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 真言天台勝劣事 134ページ 
 第三章諸師の鎮護国家の三部経を挙げる  
 文永七年 四十九歳御作
 
 『法華より真言劣る』 
 ◎難じて云く驚いて云く古より今に至るまで法華より真言劣ると云う義都(すべ)て之無し
 <通解> 
 驚いて難詰していう。昔より今に至るまで、法華経よりも真言経が劣るという義は全くない。 
 
 『法華は真言の履取に及ばず』 
 ◎之に依つて 弘法大師は十住心を立てて 法華は真言より三重の劣と釈し給へり 覚鑁(かくばん)は法華は真言の履取(はきものとり)に及ばずと釈せり
 <通解> 
 これによって弘法大師は十住心を立てて法華は真言よりも三重に劣っていると釈され、覚鑁は法華は真言の履物取るにも及ばないと釈している。 
 
 『世挙(こぞ)つて』 
 ◎打ち任(まか)せては 密教勝れ顕教劣るなりと世挙(こぞ)つて此を許す 
 <通解> 
 世間はこれらの釈に任せて、こぞって密教は勝れ顕教は劣っていると認めているのである。 
 
 『甚珍しき者』 
 ◎七重の劣と云う義は甚(はなはだ)珍しき者をや、
 <通解> 
 真言経が七重に劣っているという義は非常に珍しいのではないか。
  
 
 <解説>
 
 『七重・八重に劣る』 
 第三問答の問いの部分で、前の問答で答者が大日経は法華経に比べて七重・八重に劣ると結論されたことに対して、いまだかってそんなことは聞いたことがないというのである。
 
 『三つの反論』
 ここでは三つの反論がされている。 
 まず、先の結論に対して、真言経が法華経に劣るという説は昔より今に至るまで全くないものであると驚き、むしろ自分たちが聞いてきたのは、
 
 『三重に劣っている』 
 ?弘法大師が立てた十住心の階位の中で、法華経を真言経より三重に劣っていると位置づけている。
 
 『履物取りにも及ばない』
 ?覚鑁(かくばん)が法華は真言の履物取り(はきものとり) にも及ばない、といっている。
 
 『世間の人々も』 
 ?一般世間の人々も密教が勝れ顕教は劣ると思っている。
 
 『非常に珍しい』 
 などから、真言経が法華経に比べて七重劣るということは非常に珍しいと思っている。
 
 『顕教と密教に置き換え』 
 ところで、前の問答では、法華経と大日経との勝劣を述べられているのであるが、ここでは、顕教と密教に置き換えられていることに意を止めたい。
 
 『顕教が法華経を、密教が大日経』 
 この場合、顕教が法華経を、密教が大日経をそれぞれ表していることはいうまでもない。
 
 『真言宗側の把握』 
 もちろん、この顕教、密教のとらえかたは真言宗側の把握にすぎず、真実のとらえかたは後で明らかにされている。
 
 『法華難信難解』
 ここで問者に、法華経が大日経より勝れるとは珍しい主張であると驚かせているのは、次に示される法華難信難解への布石となっているのであるが、同時に真言宗の邪義が当時の日本にいかに深く浸透していたかを示され、それを打ち破って法華最勝の正義に目覚めさせることが容易ではないことを暗示されていると拝せられよう。