※人間4種類に分けられます!
1)正義の人!
<身心倶(とも)に移る>
2)分かっているのにしないやつ!
<心移りて身移らず>
3)一番悪い反逆者!
<身移りて心移らず>
4)元品の無明に固執しているやつ!
<身心倶に移らず>
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夫婦の会話ーー
私「特に壮年部いるね4種類♪」
妻「人のことはどうでもいいの!まず自分がどうか!」
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今日も福岡研修でした。
明日からカシミアのコートの本番です。
育ち続けます!
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真言七重劣事 p.131
第五章天台宗への帰伏の様相を示す
文永七年 四十九歳御作 与富木常忍
天台宗に帰伏する人人の四句の事
一に身心倶(とも)に移る
─┬三諭の嘉祥(かじょう)大師
└華厳の澄観(ちょうかん)法師
二に心移りて身移らず
┌真言の善無畏・不空
─┼華厳の法蔵
└法相の滋恩(じおん)
三に身移りて心移らず
─┬慈覚大師
└智証大師
四に身心倶に移らず──弘法大師
<通解>
天台宗に帰伏する人々を四句に立て分けたときの事。
一に身心ともに移る
─――――┬三諭の嘉祥大師
└華厳の澄観法師
二に心は移って身は移らない
┌真言の善無畏・不空
─┼華厳の法蔵
└法相の滋恩
三に身は移って心は移らない
─┬慈覚大師
└智証大師
四に身も心もともに移らない──弘法大師
<解説>
『「身」「心」の両面から』
中国・日本の諸師が天台宗に帰伏したか否かを「身」「心」の両面から判じられている。
そして、
(1)三論の嘉祥、華厳の澄観を身心ともに天台に移った人、
<正義の人!>
(2)真言の善無畏・不空・華厳の法蔵・法相の慈恩は心は移ったが身は移らなかった人、
<分かっているのにしないやつ!>
(3)慈覚・智証は逆に身は天台宗に置いていたが、心は天台宗でなかった人、
<一番悪い反逆者!>
(4)身心ともに天台宗でなかった人が弘法である
<元品の無明に固執しているやつ!>
と示されている。
ここで第三の慈覚・智証や弘法については改めて述べるまでもないので、第一・第二について、少し補足しておきたい。
『身心ともに天台に移った嘉祥・澄観』
まず、嘉祥は既に述べたとおり、三論宗の大成者といわれる人師であるが、法華経を学びながら般若経の下に置くなど、法華経の真義をわきまえなかった。
『自らの不明を恥じ』
天台大師と意見を交わすようになってから自らの不明を恥じ、以後、法華経を我見で講じないことを誓ったのみならず、身を肉橋として帰伏したという。
『般若経を依憑』
このことを、善無畏抄には「嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖・或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、然りと雖も竜樹菩薩の造の百論・中論・十二門論・大論を尊んで般若経を依憑と定め給い、
※依憑 (えひょう):よりどころ
『少し心とけやうやう近づきて』
天台大師を辺執して過ぎ給いし程に智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけやうやう近づきて法門を聴聞せし程に結句は一百余人の弟子を捨て般若経並びに法華経をも講ぜず七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、高僧伝には『衆を散じ身を肉橋と成す』と書かれたり、
『寄りて肩を足に備え』
天台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負奉り給うて堀を越え給いき、
『謗法を恐れて』
吉蔵大師程の人だにも謗法を恐れてかくこそ仕え給いしか」(1235−02)と述べられている。
『法華を方便とかけるに似れども』
また華厳宗の澄観については、開目抄に「華厳の澄観は華厳の疏を造て 華厳・法華・相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義・理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや」(0216−14)とあり。
『言い直したこと自体』
初めは法華経を方便の教えとしていたが、後に、法華経の義は“実”であり、華厳の教えもそれに通じていると言い直したこと自体が既に心に悔い返してる証拠であると仰せられている。
『法華経を根本に』
更に言えば“華厳も法華に通じる”と言っているのは、同等ではなく法華経を根本に考えていたゆえであるといえよう。
『理到円満す』
更に、依憑集には「大唐大原府崇福寺の新華厳宗翻経の沙門澄観、天台の義を判じて理到円満す」とある。
『後に言い直している』
なお、嘉祥と澄観は、ともに天台宗に改宗したわけではなく、身も移ったとはいえないが、大聖人が身心ともに移ったと言われているのは、嘉祥が廃講散衆して身を肉橋としたこと、最澄が最初は法華経を誹謗しながら、後に言い直していることを評価されての仰せと考えられる。
※人間4種類に分けられます!
1)正義の人!
<身心倶(とも)に移る>
2)分かっているのにしないやつ!
<心移りて身移らず>
3)一番悪い反逆者!
<身移りて心移らず>
4)元品の無明に固執しているやつ!
<身心倶に移らず>
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