朝10時30分に家を出て帰って来たのが19時30分。ほとんど運転9時間! しかも軽で!
私の車は長期入院の為、奥さんの軽で、八幡東区2軒・小倉北区1軒・若松区1軒、計4軒を奥さんと回って来ました。
「わざわざ親父に大牟田から!言っておきます」
今回は良く計算したら、年賀状440枚、北九州へ4回、訪問19軒!自己新記録!
妻「よ〜がんばるね♪…お父さんが…日蓮大聖人様に見えてきた!」
私「そうね…そりゃあ相当おかしかばい!」
妻「そうやろ…きのうテレビでキムタク見て横見たらお父さん!…もうびっくりした…ガッパリした…理想と…現実!あ〜♪♪」
私「……これが今日の一番の罪障消滅!」
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大牟田で足つぼマッサージのあと、博多カプセルサウナに泊まっております。
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※日顕は慈覚の生まれ変わり!?
真言七重劣事 p.129
「第三章諸師の鎮護国家三部経を挙げる」
文永七年 四十九歳御作 与富木常忍
大 日 経 ┐
金剛頂 経 ┼滋覚大師 人王五十四代仁
蘇悉地 経 ┘ 明天皇の御宇、
比叡山東塔の西
総持院に之を置
かる、ご本尊は
大日如来、金蘇
の二疏十四巻安
置せらる。
<通解>
大 日 経 ┐
金剛頂 経 ┼滋覚大師 人王五十四代仁
蘇悉地 経 ┘ 明天皇の御代の
人である。比叡
山東塔の西の総
持院にこれを安
置する。御本尊
は大日如来で、
その前に金剛頂
経と蘇悉地経疏
の二疏十四巻が
安置された。
<解説>
『慈覚の護国三部経』
慈覚は天台宗第3代座主でありながら、伝教大師の三部経を用いず、真言の三部経をもって鎮護国家の三部経とし、自ら著した金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏も安置した。
『真言の三部経』
中国真言密教の不空さえ真言の三部経を護国三部経としていない。慈覚は真言の祖以上に真言の邪義に毒されていたといえる。
『大日経・金剛頂経・蘇悉地経』
この謗法について大聖人は、曾谷入道殿御書に、次のように述べられている。
「日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終に王法尽きにき」
※日顕は慈覚の生まれ変わり!?