朝10時、関与先(社員250名)の新春恒例の「年度計画発表会」。来賓は、市長、福岡県、経済産業省、銀行3行(西日本・福岡・三井)、投資育成会社……等11人。そのトップに「高瀬ひろみ」の名前が。
「お、やっぱり高瀬さんが来る!」
「来賓の皆様、どうぞこちらへ」
歩いてたら、「あ、高瀬ひろみさん!」
「わーこんにちは♪」
……
「こちら職員の山下です。折角ですから3人で写真を!」。
高瀬さん「わー喜んで!」
(スタッフより「時間が……」)
私「では後ほど賀詞交換会で」
高瀬さん挨拶で「実は私は今年年女なんです。36か24かは皆様のご想像にお任せして…」(笑)
昼1時、公明党賀詞交換会(久留米)。
乾杯が終わったらすぐに、奥さん連れて木庭健太郎さんと高瀬ひろみさんの元へ!
高瀬さん「あー先程はどうも。ではここでお写真を撮りましょう!」
ーーということで、高瀬ひろみさん、奥さん、私の三人で写真を撮ることができました。今日の最大の収穫でした。FBのプロフィール写真を即これに替えました。?
奥さん「鼻の下延ばして〜!」???
私も今年年男。いい年になりそう!?
夜、新春幹部会。
8日(日)9日(月)2日間で北九州を10件程回ってきます!?
??????????????????
真言七重劣事 p.129
「第二章中国・日本の人師の判教挙げる」
文永七年 四十九歳御作 与富木常忍
戸那・扶桑の人師一代聖教を判ずるの事
華厳経第一 ┐
涅槃経第二 ┼南北の義 晋・斉等五百 法華経第三 ┘ 余年・三百六
十余人光宅を
以て長と為 す。
<通解>
中国と日本の人師が一代聖教をどのように判じているかという事。
華厳経第一 ┐
涅槃経第二 ┼江南の三派と河北の七派
法華経第三 ┘の義。中国 晋・斉代五
百余年にわたる三百六十
余人が用い、光宅寺の法
雲を長とする。
<解説>
本章では、中国および日本の人師が一代聖教をどのように配立したかを年代順に9説、示されている。中国に6説、日本に3説である。
南北の義
『南三北七』と『天台大師』
まず最初に挙げられているのは中国の南三北七の諸師の配立である。中国の南北朝時代に、既にインドから入ってきた仏教を系統だてようと、教相判釈が盛んに行われたが、南三北七はこの時代に種々の学派を、後に天台大師が法華玄義巻10上で江南の三師・河北の七師に分類、整理したものである。その時代、および僧を、「晋・斉五百余年・三百六十余人」と述べている。
『華厳経を第一』
南地の三師は、ともに頓・漸・不定の三教を立て、頓教は華厳経、漸教は阿含経から法華経、涅槃経、不定教は勝鬘経・金光明経として、華厳経を第一としたのである。北七の七師は、五時教、半字教、万字教の二教、四宗、五宗、六宗、二種大乗教、一音教をそれぞれ主張した。
『五時八教』
天台大師はこれら南三北七の教判を破して、五時八教を立て、一代聖教の中で法華経が第一であることを宣揚したのである。
『光宅寺法雲』
この南北の人師が「光宅を以て長と為す」と仰せられているのは、南地の三師の一人である光宅寺法雲が、法華玄義に「古今の諸釈、世に光宅を以って長と為す」といわれるように、南三北七の諸師の中でも最も大きい影響力をもっていたゆえである。
『報恩抄』
天台大師が光宅寺法雲の教判を破ったことについては、報恩抄で詳しく述べられている。
『華厳経…大王』
『涅槃経…摂政関白』
『法華経…公卿等』
『それ以下…万民』
光宅寺の法雲は一代仏教の中から華厳経・涅槃経・法華経の三経を選び出し、その勝劣浅深を「一切経の中では華厳経が第一であって、大王のごとく、涅槃経は第二であって、摂政関白のごとく、第三の法華経は公卿等のごときものである。この三経より以下の経々は、万民のごときものである」とした。
『大体一同の義』
この法雲の説が世に用いられ「大体一同の義」となった、と報恩抄には述べられている。
『天台大師が破折!』
天台大師は光宅寺法雲の説に疑問をもち、特に華厳経を詳しく研究した後、「一切経の中では、法華経第一、涅槃経第二、華厳経第三」と主張したのである。
『各各うつぶせ色を失いて……』
このことについて報恩抄には「難じて云く抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立させ給いける証文は何れの経ぞ慥かに明かなる証文を出ださせ給えとせめしかば各各頭をうつぶせ色を失いて一言の返事なし」(0299−13)とある。
『証拠なし』
天台大師はまず、法雲の説が経文上の証拠のないものであると破折したのである。
『いかに心えさせ給いて……!』
逆に、「重ねてせめて云く無量義経に正しく次説…方等十二部経・摩訶般若・華厳海空等云云、仏我と華厳経の名をよびあげて無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う…法華経に劣りて候・無量義経に華厳経はせめられて候ぬ…いかに心えさせ給いて華厳経をば一代第一とは候けるぞ…各各・御師の御かたうどせんとをぼさば此の経文をやぶりて此れに勝れたる経文を取り出だして御師の御義を助け給えとせめたり」(0299−16)と華厳経が法華経の開経である無量義経にすら劣ることを経文を明示して破折したことを挙げられている。
『秋の末・冬の捃(おちば)拾(ひろい)の位』
また涅槃経が法華経に勝るとする経文はないこと、逆に涅槃経のなかに、涅槃経と法華経をもとに「菓実の位」としたうえで、法華経を「秋収冬蔵の大菓実の位」、涅槃経を「秋の末・冬の捃(おちば)拾(ひろい)の位」とする文があると破折したのである。これは第一章に挙げた「是経出世」の文である。