※『信用す可からず』
法華真言勝劣事
『大日経を大日所説とするを破す』
126ページ
『法華経を第一なり』
◎五仏の章・尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給う是四
<通解>
総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の教化の方式を説いた段では、すべての諸仏がみな法華経を第一と説いている。(これが第四である)
『如来の一切の所有の法』
◎「要を以て之を言わば・如来の一切の所有の法・乃至皆此の経に於て宣示顕説す」等と云云、
法華経如来神力品第二十一には「要点をとっていえば、如来のたもっている一切の法は…みなこの経に宣べ示し説き顕している」等と説かれている。
『第一なるのみに非ず』
◎此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず、大日如来・十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり、
<通解>
この経文のとおりであるならば、法華経は釈尊が説いたとこのの諸経の中で第一であるだけでなく、大日如来や十方無量の諸仏が説いた諸経の中で第一なのである。
『信用す可からず』
◎此の外一仏二仏の所説の諸経の中に法華経に勝れたるの経之有りと云わば信用す可からず是五、
<通解>
これとは別に一仏・二仏が説いた諸経の中で法華経より勝れた経があるといっても、信用することはできない(これが第五である)
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<解説>
第四に、法華経方便品第二で、総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏が、皆、同じく一仏乗である法華経を説くことを出世の本懐とすることが述べられており、これを五仏章という。この大日如来も当然、この五仏に含まれるはずであるから、法華経以外に経を説いてそれを最勝とすることはありえない、とのべられている。
第五に、法華経如来神力品第21に、「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」と説かれている。
この「如来」には一切の仏が含まれている。
したがって、法華経は釈尊所説の諸経の中で第一であるだけでなく、大日如来も含めた十方無量の諸仏の所説の諸経の全てが法華経に収まっているということである。
したがって、これ以外の一仏・二仏の所説の諸経の中で、法華経より勝れた経があるというような説は、決して信用してはならない、とも念を押されている。
※『信用す可からず』
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