※「法に依って人に依らざれ」
法華真言勝劣事
『慈覚・智証が祖師の義に背くを明かす』
125ページ
『理同事勝の義』
◎問うて云く慈覚・智証等・理同事勝の義を存す争(いかで)か此等の大師等に過ぎんや、
<通解>
問うていう。慈覚・智証等が理同事勝の義を認めているのである。どうしてあなたがこれらの大師等よりも勝れていることがあろうか。
『人を以て人を難ずる』
◎答えて云く人を以て人を難ずるは仏の誡(かい)なり何ぞ汝・仏の制誡(せいかい)に違背するや但経文を以て勝劣の義を存す可し、
<通解>
答えていう。人をもって人を非難するのは仏が誡めていることである。どうして、あなたは仏の制誡に背くのか。ただ経文をもって勝劣の義を考えるべきである。
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<解説>
理同事勝は慈覚・智証が認め主張していたことであるのに、末学の身でありながらそれを否定するのは師敵対ではないかとの非難を設け、慈覚・智証こそ、天台宗の祖師である天台大師や妙楽大師の教えに背いていることを指摘されている。
前章までは、理同事勝という法義の誤りを破されてきたが、ここでは理同事勝を唱えた慈覚・智証ら天台密教の人師の誤りを責められているのである。
慈覚・智証は天台真言宗において祖師であったばかりでなく、日本仏教界において尊崇された高僧であった。
それに対し、日蓮大聖人は当時にあっては末学の一人としか映っていなかったのである。
この非難に対し、大聖人は、人をもって非難するのは、仏の誡めるところであり、なんで汝らは仏の制誡に背くのかと破され、法門の勝劣はあくまでも経文の証拠によるべきである、と指摘されている。
涅槃経には「法に依って人に依らざれ」とある。
仏法の勝劣・浅深・判釈については、仏の説いた経文を根拠とすべきであって人師・論師の言葉を用いてはならない、という仏の誡めである。
※「法に依って人に依らざれ」
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税理士は毎年一回の国家試験で、5科目を合格して最終合格となります。
今日は私の事務所の高口という職員(36歳・入社歴13年)が「簿記論」に合格しました!
彼は昨年6月に難関の日商1級にも合格。
これで事務所の科目合格者は山下という職員(39歳・入社歴16年)の3科目を含め2人目。
親はなくとも子は育つ?