法華真言勝劣事
二条作仏と久成は法華経のみを示す
文永元年43歳御作
124ページ
『二乗作仏・久遠実成明かす』
◎問うて云く華厳宗の義に云く華厳経には二乗作仏・久遠実成之を明かす、天台宗は之を許さず、
<通解>
問うていう。華厳宗の教義では「華厳経には二乗作仏・久遠実成を明かしている」といっている。天台宗はこれを許していない。
『相似の文之有りと雖も』
◎宗論は且(しばら)く之を置く人師を捨てて本経を存せば華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文之有りと雖も実には之無し、
<通解>
宗派間の論議はしばらく置いて、人師の釈を捨てて本となる経についてみてみれば、華厳宗には二乗作仏・久遠実成に似た文はあっても実義はない。
<解説>
『いい加減さ』を破る
本抄での破折の対象は天台真言宗であるが、同様に自宗の依経である華厳経にも二乗作仏・久遠実成があり、一念三千の理があると主張していた華厳宗を引き合いに出しながら、こうした主張のいい加減さを破されている。華厳宗の主張に対して、天台宗はそれを認めていない。
『実義はない』
大聖人は、人師の説はさておいて、依経の文について論じようといわれ、華厳経には二乗作仏・久遠実成に似たような文はあったとしても、その実義はない、と断じられている。