何も言えねえ!
法華真言勝劣事
『理同事勝の義に二難有るを明かす』
文永元年43歳御作
123ページ
◎次に事勝の義を難ぜば法華経には印・真言無く大日経には印真言之有りと云云、印契真言の有無に付て二経の勝劣を定むるに大日経に印真言有つて法華経に之無き故に劣ると云わば、阿含経には世界建立・賢聖の地位是れ分明なり、大日経には之無し、
<通解>
次に事勝の義を論難する。
「法華経には印と真言がなく、大日経には印と真言がある」と言っているが、印契と真言の有無によって二経の勝劣を定めて、大日経には印と真言があるのに法華経にはこれがないから劣っているというならば、阿含経には世界の建立や賢聖の位が明らかにとかれているのに大日経にはこれがない。
◎彼の経に有る事が此の経に無きを以て勝劣を判ぜば大日経は阿含経より劣るか、
<通解>
あちらの経にあることがこちらの経にないことをもって勝劣を判ずるならば、大日経は阿含経よりも劣ることになるがどうか。
◎雙観経等には四十八願是れ分明なり大日経に之無し、
<通解>
無量寿経には四十八願が明らかにとかれているが、大日経にはこれがない。
◎般若経には十八空是れ分明なり大日経には之無し、
<通解>
般若経には十八空が明らかに説かれているが、大日経にはこれがない。
◎此等の諸経に劣ると云う可きか、
<通解>
大日経はこれらの諸経よりも劣るというべきなのか。
◎又印・真言無くんば仏を知る可からず等と云云、今反詰して云く理無くんば仏有る可からず仏無くんば印契真言・一切徒然と成るべし。
<通解>
また「印と真言がなければ、私を知ることができない」等といっているのに反論していえば、理がなければ仏はありえず、仏がなければ印契や真言は一切、無意味となろう。
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【解説】
印と真言の有無を基準にして法華経と大日経の勝劣を定めるというなら、阿含経には世界が成立した姿と因縁や、見思を断じた以後の悟りである27の顕聖の位が明かされているが、大日経にはそれが説かれていない。あちらの経にあってこちらの経にないから、こちらの経が劣るというなら、大日経は阿含経より劣ることになるではないか、と責められている。
同様に無量寿経には法蔵比丘の48願が明かされているが、大日経にはない。般若経には18種の空が明かされているが、大日経にはない。そうすると、大日経はこれらの経に劣ることになる、と破されている。
また、印・真言がなければ、仏を知ることができないとしているが、それらへの反論として、法華経の理の一念三千の法理がなければ仏はありえず、仏がないから、印・真言は全く意味がない、と破されている。
仏法の根本は成仏であるが、成仏の根本は“法”すなわち“理”を悟ることにあって、印・真言によるのではない。
印や真言は既に悟った仏のあらわす力や智慧を象徴するものなのである。
一切衆生の成仏得道の“法”は一念三千であり、これらは法華経のみにある。
大日経には、一念三千の法理はない。
したがって、いかに大日経には印・真言が説かれていると誇っても、根本の成仏の理が説かれていないのでは、全く無意味となるのである。
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大聖人の破折は明快です。
もし対告衆が私とすれば、相手は奥さんのようです。
何も言えねえ!?