蒼蝿驥尾に附して
客聊(いささ)か和(やわら)ぎて曰く未だ淵底(えんでい)を究めざるに数(しばし)ば其の趣(おもむき)を知る但し華洛(からく)より柳営(りゅうえい)に至るまで釈門に枢健(すうけん)在り仏家(ぶっか)に棟梁(とうりょう)在り、然るに未だ勘状(かんじょう)を進(まい)らせず上奏に及ばず汝賤身(いやしきみ)を以て輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐(は)く其の義余り有り其の理謂(いわ)れ無し。
主人の曰く、予少量為(な)りと雖(いえど)も忝(かたじけな)くも大乗を学す蒼蝿驥尾(そうようきび)に附(ふ)して万里を渡り碧蘿松頭(へきらしょうとう)に懸(かか)りて千尋(せんじん)を延(の)ぶ、弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起さざらんや。
其の上涅槃経に云く「若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞(しょうもん)なり」と、余・善比丘の身為(な)らずと雖も「仏法中怨」の責を遁(のが)れんが為に唯(ただ)大綱(たいこう)を撮(と)つて粗(ほぼ)一端を示す。
(立正安国論26ページ)
※蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ
(わずかしか飛べない青バエも、駿馬の尾につかまっていれば、万里を行くことができる。つたかずらも、大きな松の木にかかっていれば、千尋に伸びることができる)
52歳平成22年1月よりゲーテのファウストから本格的に始めた読書が、7年間でまもなく200冊に到達します。1年平均約30冊のペースです。最も心に残っているのは、ダンテの神曲『地獄偏』です。
妻「そんなに読んでいるなら、もう少し人間変わらんなら! ブックオフに持って行ったら」と言われます。
最近は御書全編読破を再々度!挑戦を始めました。(^_^;)