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見ものじゃ。これからの、この人の歩み方が

2016年05月03日 (火) 22:17
見ものじゃ。これから



「ハハ‥……」と秀吉はまた楽しそうに笑った。
「徳川どのはあのままあのまま。それに決して異議を申される人ではない。こちらに喰い入って、各々方の所領を狭め、ご気分を削ぐよりは、東で拾いものをしたが得と、ちゃんと計算のできる人じゃ」

前後を通じて約二刻(四時間)、事によったら激論の末に、刃傷沙汰(にんじょうざた)にも及ぶのではと思われた清洲会議は、朝の陽がやがて正午になるような順調さで、八ツ半には、集まった者はすべて広間に召し出されていた。

そして、小姓が三法師の臨席を声高にふれると、正面の襖をしずかに開かせ、悠然として出て来たのは三法師一人でなくて、三法師を抱いた秀吉であった。
みな一様に「ハハッ」といって頭を下げる。



柴田勝家は、なにかひどく滑稽で、ひどく悲しい夢を見ているような気持であった。
(あの、中村の百姓の小倅めが‥……村祭りの狂言か何かのように、いい気になって)

光秀の不満も、われこそ土岐の一族と、あらぬものを追いかけたところにあった。
(怒るまいぞ。怒るまいぞ‥……)

もはや、時代は完全に信長から、秀吉の時代に移っていた‥……



清洲会議は完全に秀吉のひとり舞台であった。

「私心のみじんもないものには、つねに神仏の感応があるものでの。いや、見上げたものじゃ」
心から自分で自分に感心していた。
「さて、見上げたついでに、もう少し働いておかねばのう‥……」

「官兵衛、見てござれ。きっと信孝が、柴田修理に、お市どのを押しつけるぞ。いや、押しつけるか押しつけぬかで、信孝の不平を計る秤になる」

「やあ、これはお袋さまじゃ!」

「やれやれ、寧々も無事であったか。これで筑前も心の重荷をおろしたわい。お寧々、これからじゃぞ。そなたに、日本中の大名の領地をな、思うままに分けさせる。その時が来たわい、来たわいもう少しの辛抱じゃぞ」

十一

三法師の擁立、遺領の分配の二つが済むと、秀吉にとって、次の大事は細川父子の心を完全に掌握することであった。

それに細川父子は、何といっても名門の出で、京においての公家関係には充分に利用しなければならない存在であった。

「‥……そこで、まず織田家の旧領に事なきように取り計らい、そこでただちに右府さまのご葬儀をの‥……これが大切なことでござるぞ。」

十二

「容色のすぐれた女子は、とかく気性の弱いものじゃ。ところが桔梗は、男まさりの強さを持っている。あるいはお濃に立ちまさっているかも知れぬと右府さまが仰せられておわした‥……そうそうたしかご縁組のときに、日本一の花婿に日本一の花嫁じゃとも仰せられたな」

桔梗のために泣いてくれた武将が秀吉のほかにあったであろうか。

「よしよし。よく分る。夫婦の情愛は別のものじゃ。この筑前など、敷藁(しきわら)の上に薄べり敷いて、清州の長屋で婚礼した寧々じゃが、‥……日本一の夫婦中を羨まれたそこもとたち‥……分る。分る!」

(秀吉はこれほど深く人情を解す大将であったのか‥……この大将のためならば‥……)

十三

「鍛え方が違う。なみの人間どもとはのう! それとも、その方が参ったかな」

「言うな、言うな。思いのままの戦功とはな、右府さまのご遺志を継いで、東はみちのくから、西は九州、琉球まで、ことごとく平らげてからのこと。こんどの戦功などは、順慶と秀吉と、いずれがいずれとも云いかねる程度のものじゃ」

十四

「分った。言うな。おことの腹などは、中に何疋(びき)虫がいるかまで読みとおしている。あのときに、なぜわしが勝つと見きわめたか、‥……」

「何じゃ、順慶、わしはこのとおりに知恵も策略もない男、歯に衣(きぬ)は着せぬ、思案のほどを聞きたいものじゃな」

「この順慶、このとおり、質子(ちし)をつれてまかり出ました。心中、お察し願いたい」

十五

「筑前はいま、そこもとの怨みを買うところであったな」

「それがよいぞ。力の均衡はもう決まった。これからは心と心じゃ。心が亡き右府のご理想、国内統一に向こうて結ばれてあるのでなければ、頼りにならぬ」

「今ごろ、戻りの輿(こし)の中でな、坊主め、しきりに口惜しがっておる。見えるようじゃ、ハッハッハ‥……」

黒田官兵衛は、答える代わりにふと眼を細めて庭先を見やった。木立ちと木立ちの間に、眼を射るような白さで落ちている夏の日が、そのまま今日の秀吉に思うて来る‥……

運の強さでも、そして、抜群の精力でも‥……

(見ものじゃ。これからの、この人の歩み方が‥……)
幽古はもうまた筆を執って、何か心覚えを認めだしていた。


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