◎烈日
一
山崎に光秀をほふり、六月二十五日、清洲城へ入るまでの秀吉の行動は、まさしく疾風迅雷であった。
彼もすでに四十七歳、並みの体力、なみの意志の持ち主だったら、山崎で勝った刹那に精根を傾けつくして倒れていったに違いない。
が、彼は全く疲労を知らなかった。‥……
清洲城は信長の二男信雄の居城である。
信雄は三男の信孝と異腹であって、年齢は同じであった。したがって織田家の後を継ぐべき者は、二男の信雄か、三男の信孝かと、必ず紛糾を来すことは分りすぎるほど分っていた。
人物からいえば信孝に覇気があり、信雄に親しみやすい美点がある。しかしその実力にさしたる違いはない。
そしてその決定の場には織田氏発祥の地、清洲が選ばれるに違いなかった。
二
柴田勝家は言った。
「みなそれぞれ当面に敵を持ちながら、蹴散らしてやって来ているのだ。羽柴に腹の工合はどうかと聞いて来い。あまり悪くなければ、揃うて相談をはじめねばならぬ」
「その事でござるよ」
秀吉は得たりとばかり身を乗り出した。
「何分にも、毛利の大軍と大戦中‥……なれど光秀めが大それた謀叛を企て、主君を討ちたてまつったとあっては寸刻も猶予はならぬ。ただちに計りごとをもって毛利を説き伏せ、夜を日についで都へはせのぼり、それがしの手にて一挙にご無念は晴らし申した」
勝家は険しい眼をして秀吉に向き直った。
「お身は、信孝さまには反対だと言われるのか。神戸家などととぼけさっしゃるな」
三
「それ、そこでわれらと意見が分れる‥……城ノ介さまとハッキリお決めなされてあり、その城ノ介さまに、三法師さまというれっきとした嫡子がおわす。‥……ところが、まだ三歳とはいえ、すでに嫡子がおわす以上、われわれ宿老どもが、亡君のご決定にあれこれ口をさしはさむべき筋合いではあるまい。したがって、本日の談合はご家督を決める談合ではなく、この三法師君をいただいてどのように後の仕置きをつけてゆくかの談合でなければならぬ、と、この筑前は心得る」
四
秀吉の腹痛は、誰の眼にも仮病に見える。
「ーーわしのいない方が相談しよかろう」
丹波長秀「‥……されば、こうしてはいかがでござろう。幼君を補佐する者には政治の権力は持たせぬということにいたしては」
「なに、幼君を飾りものにする、といわっしゃるか。いや、そのような人物が家中にござるか。念のために申しておくが、羽柴では、政治に口出しするなと申しても必ず口を出してくるが‥……」
「ふーん、堀秀政を‥……」
そう言いかけて、勝家は急に、
「すると、丹波も三法師君を立てよというのか」
五
勝家は、周囲が、みなすでに秀吉の思うままに動きつつあることを知った。
(丹波長秀も三法師を支持している‥……)
池田勝入は、はじめから自分に喰ってかかる勢いだったし、‥……
四宿老の意見が三対一。
「そうか。三対一では、この勝家が譲らなければなるまい。一人で反対しては、それこそ私曲になるからの。ハハ‥……」
「分っている。分っている。柴田修理どのが起こして来いと言ったのだな」
六
「なに、この席へ三法師君を?」
「これはこれは、若君さまにはおむずかりで。さ、爺がよいものを土産に進ぜましょう」
「この人形はお気に召しますかな」
(いったいあのはげしい進撃の中で、こんな人形など、どこで考え、どこで用意させたのか?)
七
勝家はブルブルと小刻みに右手を膝でふるわせていた。
(秀吉め、すでにおれと真っ向うから争う気持になっている‥……)
そこで一息いれて、ぐるりと一座を見廻したが、誰も一語も発する者はなかった。
あるはずはないのである。
何というよく動く唇であり、よく働く頭であろうか。滝川や森から苦情が出たら引き受けるとは、「ーーお身は葬い合戦に間に合わなかったのでござるぞ」