◎大虹
したがって好むと否とにかかわらず、今すぐ光秀に決闘を挑める者は、秀吉ただ一人と、ハッキリ答えは出てしまった。
秀吉は、ひとわたりそれらのことを肚に入れると、
「風呂に入りたい、湯を沸かしてくれ」
決して楽観もしていなかったが悲観もしていなかった。
(天下分け目‥……)
信長の偉業をつぐか、夏草の露と消えるか。
「彦右衛ーー」
「はい」
「阿呆!」
「は‥……何と言われましたので?」
「阿呆と言ったのだ。これはな、神仏が、筑前という男の心を試されている。一度運強いと思わせたら、それに甘えてぬかる男か、それともいよいよ真心を傾けて、神仏の期待に添うよう、真っ向不乱に努める男かと、意地わるくご覧ぜられている」
声を聞いたり、磊楽(らいらく)なうごきを見ていたりすると、いかにも粗笨(そほん)な節がある。と、見せかけるのはしかし秀吉の処世哲学の一つであった。
信長は徹頭徹尾威圧をもって起居の基準として来たが、小者あがりの秀吉が、もしそれにならったら、とうに仲間の反感を浴びて破滅を招いていたに違いない。
態度はどこまでも隔てなく、実力はあくまで強く。そして信長の威圧はこれをそのままわが敵に向けてゆく。
「と言うて、この理屈は、筑前には分っても世間には分らぬ。世間にはやはり、主君の仇を報ずる弔い合戦でなければならぬ」
すでに、あらゆる場合に備えての自問自答は終わったらしい。名人の碁に見るように、きびしく一手ずつ先を読んで、読みつくすと疾風のように動いてゆく。
もはや彼の眼中には、一姫路城はなかったのだ。
天下を取るか?
屍(かばね)を夏草の中に晒すか。
言葉を変えて言えば、光秀を倒して信長の偉業を継ぐか、玉砕するかの二つに一つであった。
矢倉へのぼって、諸隊の準備を見るためであったが、小姓と彦右衛門と、官兵衛を従えて、楼上に立つと大きな虹が西の空に七色の翼をひろげてかっきりと立っていた。
「ハハ‥……虹めがこの出陣を祝おうているて」
「この城には二度と戻らぬ‥……」
「人間はふしぎなものよなあ‥……」
秀吉は、そのかみの信長が、田楽狭間に今川義元を破ったときの出陣を思い出していた。
あのとき信長はすべてを捨てて敢然とわが運命に立ち向かった。
そのとき信長は二十七歳。
それと同じ気魄でいま姫路城を捨てようとしている秀吉はすでに四十七歳だった。
「よしッ」
秀吉は尼ヶ崎に着くと、わざと指呼の間の中川、高山の両将には使者を送らず、大和の筒井順慶と、丹後の細川藤孝に密使を送った。
どこまでも信長の仇を報じ、逆臣明智光秀を誅罰するという口上であった。
「幽古よいか。そなたは次の間にあって、こん夜のことはよく記録にとどめておくがよいぞ」
「かしこまりました」
「こんどの軍記はな、光秀征伐記とでも題して、後々の世まで読み継がれてゆかねばならぬものじゃ。そちの眼に映ったままの秀吉でよい。大きく眼を開いて、わが心をしかと掴んで作文することじゃ」
いや、何よりも焦眉の急は大阪にある信孝の出方であった。
信孝がもしも小さな名分に拘(こだ)わって、秀吉の方から自分の所へ挨拶に‥……などと言い出されたのでは、時の空費が取り返しのつかない敗因を作ってゆこう。
「信孝さまとて、今度だけはわれらの采配下で働いて貰わねばならぬ。それゆえ、われら父子はどこまでも身を捨ててかかってゆくのじゃ」
「どうじゃ、法螺は吹くべきものであろう。ハッハッハ、とうとう、わしの貝は丹後まで鳴りわたったわ。ではさっそく引見して来よう」
「ワーッ、細川父子が誓書を届けて来たと言われたぞ」
「さっきは筒井が降参して来た。こりゃ勝った。勝った。勝ったぞ勝ったぞ」
「さすがは細川どの、この筑前と同じなされ方じゃ。するとあの与一郎どのが妻は、光秀が娘は、離別されたか」
「その儀にござりまする」
(こんどは、家康が、味な後ろ楯をしてくれた)
「ーーどうやら家康どのは、ここで殿に天下を取らせる気らしゅうござりまする。さもなければ、自身、安土を衝いて、光秀に決戦を挑みましょうでなあ」
黒田官兵衛はそう言っていたが、秀吉の考えもほぼそれに近かった。
(ただ、そのような味な自重を、誰がいったい家康にさせたのか?)
(いずれにしても、こんどは家康の恩になったわ‥……)
秀吉はまたどなり返した。
「だいいち、人質をと考える心が水臭い。われらと、こなた衆の間は、そのような間柄ではよもあるまい。双方ともに、亡君のご無念を晴らすことで火の玉になっているはず、人質などは早々に城へ帰されるがよい」
「待たっしゃい。中川瀬兵衛清秀はこの中手道筋の左寄りに陣取ること。かくすれば先陣は右近だが、敵の出方によって一番合戦は清秀になるかも知れぬ。戦は生きものゆえ、双方相手の動きをよく見きわめ、充分功をきそうがよい。よいかの、この決定はもはや動かぬものでござるぞ」
「これで大河は流れだしたぞ。もはや尼ヶ崎に止まるべきではない」
「秀吉め、うぬの運命を決する日がやってきたわや。よくやった! よくやったゾ!」
秀吉はときどき口に出して自分を褒めた。他人もよく褒めるが、自分を褒めるのが秀吉の癖であった。
これはまさに地上に描いた秀吉の大虹であった。
秀吉はその地上の大虹をわが意のとおり行進させて、‥……
「どうじゃ。ここで悠々と兵をととのえる、この秀吉の胸中がわかるかの」
「これはな、われらの、花も実もある信孝さまへの思いやりじゃ」
「のう、父君を討たれて、信孝さまの胸中はどのようであろうか。ご無念であろう。一太刀なりと怨みを光秀めに報いたかろう‥……」
「‥……よいか、明日は必ず信孝さまはお出でになさる。そのときには、この秀吉、きっと信孝さまのお手をとって泣くであろう。感きわまって、大声をあげて泣くであろう。が、決してみなは笑うてくれるなよ。秀吉という男は、そのような男なのだ。戦には強いがの、情にはてんから弱い生まれつきでの」