◎戻り梅雨
両軍の前哨戦は十三日の早暁から秀吉方の高山、中川両勢の猛進撃によって開始された。
光秀は八日に安土を発して坂本城に戻り、九日には公家衆の出迎えを受けて京都に入った。
ところがその援軍よりも先に、またしても天王山まで中川清秀が進出して来たという。何をおいても御坊塚まで陣をすすめ、川向こうの淀城と勝竜寺の線で敵を喰いとめなければならなかった。
光秀にとって、もっとも大きな誤算は、信長の「人気」についてであった。
光秀にとって、このうえない暴君は、細川、筒井などの光秀の縁者はむろんのこと、家康にとっても、柴田勝家にとっても、当の秀吉にとっても、つねに猜疑と苛烈の白刃をかざして、寸時も油断のならぬ「暴君」に違いないと思っていた。
そう考えると「主殺し」はさして問題ではなくなり、逆に「暴君」を取り除いた「義人」としての光秀が、ぐっと大きく浮かび上がって来るはずであった。
ところが、その計算は見事にはずれた。‥……
信長は決して光秀が考えているような、誰にとっても安堵のできない悪逆無道な暴君ではなかったらしい。
「申し上げまする」
「何事じゃ、あわただしく」
(よい知らせではない)
「申し上げます」
「聞こう、何事じゃ」
「殿には、早々に、坂本の城へ入られまするようにと、われらが主人、斎藤利三が口上にござりまする」
「なにッ! わしに近江へ引きあげようと‥……」
「礼の者が持参したちまきを持て。腹が空いては働けまい」
光秀はその一つを取って青い笹をむき、一口喰べて、何となく五十五歳の年齢を感じた。
分別知識では、秀吉などにひけは取らぬ光秀も、戦夜を馳駆(ちく)するには、年を取りすぎた‥……
「なに、筒井順慶がやって来たと!?」
「そうか、筒井が来てくれたか」
(中川瀬兵衛も、あわてだしているであろう)
(この勢いでは夜に入るまでには大勢は決しそうだぞ)
(はてな?)
「ご注進!」
「どこからじゃ」
「はいッ、筒井勢はお味方にあらず、敵と内応しあったに相違ござりませぬ」
「しまった!」
(秀吉めは、何という恐ろしい奴‥……)
(何という戦上手な‥……あの猿めは)
「ーー右府のご無念を晴らすは今ぞ。逆賊光秀をのがすなッ」
しばらくして、光秀は、注進の者が、足もとからぼんやりと自分を見上げているのに気づいた。
「三左、戦は決まったな」
「無念! 敵方川手勢にしてやられてござりまする。さ、おん大将には少しも早く勝竜寺の城へ!」
「この光秀は恥を知る者。猿に負けた! あの猿になあ」
「それゆえ、わしは動かぬのだ。せめてここで討ち死にを‥……」
「なりませぬ!」
(いったいこれはどうしたのだ‥……)
わずか二刻(ふたとき)足らずの戦の間に、五十五年の光秀の生涯は、凄まじい速度で、まっ暗な深淵に転落していったのだ。
(短慮だった‥……例えようもなく短慮であった‥……)
(わしの計算は始めから誤っていたようだ)
「いったんこの城は出るとしよう」
「落ちて下さりますか」
「散る者は散るがよいのじゃ。後にはまごころある者どものみが残ってゆく。その方が人目にかからず、落人(おちゅうど)の身にはかえって好都合じゃ」
「落人‥……」
と、そのときに、どこかでカサカサと藪が鳴った。
(今のあの音は何であろうか‥……?)
「案ずるな。伏せる者は落人狩りの物盗りじゃぞ」
「介錯せよ‥……」
と、いう意味と、勝兵衛は受け取った。
が、光秀は全くべつのことを訴えようとしていた。
ほかでもないただ一語、それは、
「ーーわしは疲れた」
そう言えば、光秀の一生は、寸時も心の休まるときのない緊(きび)しく張りつめた一生だった。小心で綿密で、つねに内心の不平を圧(おさ)えながら、営々と小石を積みあげて、それの崩れるときばかりを怖れつづけた一生だった。
すべてが誤算であったとは、考えられなかったが、少なくとも自分の性格と力だけは過信しすぎた。
彼の場合秀吉とは反対に、一つの知識、一つの教養が力とならず、歓びとならず、かえって心労と不平のもとになった。
「美濃の‥……明智の里に生まれ‥……山城の小栗栖の露と消ゆるか‥……」
築くときの営々とした長さに引きかえ、崩壊するときの人生のもろさは何という悲惨な瞬時であろうか‥……