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戦いすぎた男

2016年01月24日 (日) 22:02
戦いすぎた男

◎落花有情
このころから、駿河にあった穴山入道梅雪も、
「ーー今は、いったん戦意をおさめて兵を養うとき……」

これこそわが敵ーーと、はげしい憎悪の対象が、織田、徳川、北条と三氏にふえ、……

……すでに三面に迎えた、敵のいずれとも妥協できない……

戦略上の問題よりも、それはむしろ、彼の心の問題だった。

新羅三郎以来、連めんとしてこの地に武田家が続いて来たのは、彼らが中央の覇者などを思わず、しだいに実力の蓄積を計りながら、しっかり大地に根を張っていたからにほかならない。

「なに、左馬頭が、この武田家を裏切ったと……」

「よしッ、陽春になってはあとがうるさい。今のうちに叩き潰そう」

半ば感情にかられたこの面目意地のために出撃が、いよいよ彼を危地へ追い込む原因になろうとはさすがの勝頼も考えられなかった。

一年として、民を養う暇もなく、春夏秋冬絶え間なく戦にかりたてられたのでは、いかに戦国とは言え、自滅のほかはなくなろうーーそう考えて生き残るための戦いから、生き残るための降服随身に政策を変えていった義昌だった。

穴山入道梅雪ーー
「ーーこれで武田家は滅んだ……」

……それは同時に、信長が、ひそかに待ち望んでいた好機の到来でもあった。

「ーーすでに、武田家の前途も決定したゆえ、この家康に降服するよう」

信長自身の大挙出撃。
つづいて、穴山梅雪の家康への降服。
さらに、飛騨から金森長近の侵入であった。
勝頼ははじめて愕然と色を失った。
彼はここでようやく、自分がすでに「戦いすぎた男」であったことに気がついたのだ。

そうなると甲府のつつじが崎の城は、これを迎い撃てる構えの城ではなかった。城というよりそれは敵などここに寄って来れるものではないという、父祖の自信の上に設計された居館にすぎない。

甲府城の女たちは、ひとり御前だけではなく、攻められたことを知らずに育った者が多かった。

「明、早朝、この城を立ちのき、新府の城に移りますゆえ、みなみな身の廻りのものをかたづけて置きますように」

奥向きで使っている女たちの数だけで二百三、四十人はいる。

それでもまだしばらく御前の居間の琴はやまない。陽が落ちかけて琴がやんだかと思うと、こんどは御前は短冊と筆をもって、うっとりと春の雨あしに見入っていた。

「……先君は英邁(えいまい)にして、しかも仁慈のこころ厚く、国をそのまま城として、別に城郭の構えはあらず、されど当主勝頼公は父に比して、武略はなはだ劣るばかりでなく、信長、家康、氏政とみな敵にしてしまっている。このうえは要害の地を選んで城を築かねばなるまい」

「そうか……もう落人(おちゅうど)になっていたのか」
「は、何と仰せられました?」

「話には聞いていました。戦に負けると落人になるそうな」
「えっ? それは……まことのことで……」
「まことらしい」

「その方がよいかも知れぬ。負けてしもうたら戦はない。戦がなければ女子は殿御のおそばにおれよう……」

勝頼はその工事の停滞が、民主の疲弊にあるのを知っているのかどうか。


「そのときには立派に自害いたしまする。上さま! 上さまも、この城で討ち死にと、お覚悟なされて下さりませ」

(わが殿は、戦いすぎたのだ……)
それゆえ神仏が、このあたりで、御前と二人、ゆっくり休むがよい……そう言っているのを、わが殿はまだお気づきなされぬのじゃ……

「必ずこのあたりへさまよい来ようほどに、来たら宿せよと申された。宿させておいて夜襲をかけ、殿はじめ、旗本衆を討ち取る手段と見たゆえ、この宿きっぱりとお断り申したのじゃ」
「それは、敵か、織田の先鋒滝川一益が計略か」
「いいや、かくなっては隠し立てもなるまい。そう申して来られた主は峠の向こうの岩殿の城主、小山田兵衛信茂どのでござる」

(信じられぬ! これから辿って行こうとする小山田信茂が、自分たちをこの寺に宿泊させて討ち取ろうと計っていようとは……)

二百四十人の女たちもまたいつか七十人ほどになり、残った女たちは、みなそれぞれ一行の中へ去りがたい愛情のきずなを持った者だけになっていた。

何も人生の苦を知らぬ童女……そんな表情で、万福寺を出たときには、すでに輿もなく徒歩(かち)であった。

「恐れながら、あの木の間の旗印をご覧ぜられませ。頂上から、われらを北の谷に追い落とそうとして……あれは、まぎれもなく小山田が手の者……」

「殿! 織田信忠が先鋒、あと追いかけて、この峠に迫って来まする。寸時も早く、旗を巻き、山を下ってお避け下さるよう」

もはやそれは戦隊でもなければ、意地をかざした集団でもなかった。何の力も持たない一群れの難民に変わってしまった。

「御前もつかれたのか」
「はい。わらわも、新府の城で死にとうございました」

「さ、花を進ぜましょう。よい子じゃなあ」


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