
◎三河の意地
 さてーー
 こうして地上で死闘のくり返されているこの城の地下の石牢に、六年前の戦で、たった一人武田家への降服を拒んで放り込まれたままの三河武士が、いまだに、はげしい闘志をもって生きつづけていた。
 その名は大河内源三郎政局。
 
 「ーーわが殿、家康どのは並みの大将ではござらぬ。必ず高天神城へ救援にやって来ると申された。申されたことは必ず実行なさるお方ゆえ、降服などは思いもよらぬ」
 
 「何しろ徳川方は戦が上手だ。……百姓たちにはその日その日の食べ物を配給なさる。それゆえ、誰一人として武田方の手伝いをする者がねえ。これでは戦は負けゆえ、早くこの城は捨てるがよい」
 
 「名前は似ていても性根は月とすっぽんじゃ。うぬは、どうしてこの城をのがれて助かろうかと考え、おれは、何十年ここにいても弱音ひとつ吐くものではない。その腰ぬけ武士が、わざわざやって来た用も大方は知っている。無駄口きかずとさっさと帰れ」
 
 「起きろ」
 「うるさいッ」
 「こやつ狸寝入りでござります」
 
 「よし、爪に火を点せ!」
 
 「次を焼けッ」
 
 「強情な奴め」
 
 「言わぬことではない。囚人どのはあまり抗いすぎるのじゃ」
 
 「作蔵、案じるなよ。これでわしは、また一、二ヵ月生きる力をつかみ取ったぞ」
 
 名倉源太郎が、ああして牢まで自分をたずねて来たということは、もはや勝敗の山は見えたということであり、自分を使者にするよりほかに全滅から逃れる途はないということだった。
 「またきっとやって来る。こんどは名倉でない奴が……」
 
 「戦いは戦場だけではなかった……」
 
 「案外もつものじゃの。この城も、そしておれの体も……」
 
 「はてな、あれは鶯の声じゃぞ……」
 
 「たしかに鶯が鳴いている。作蔵はやって来ないし、城兵はみな逃亡したのかも知れぬなあ……?」
 
 「もし……もし……囚人さま、どうなされました。もし……この作蔵が生命がけで手に入れた握り飯。さ、一つあがって下され。もし、囚人さまや……」
 
 「あ、そのことじゃ。明日はのう、いよいよ寄せ手は総攻撃、味方はみな撃って出ると決まっての、徳川さまのご本陣にある幸若三太夫どのの謡いを、この城の大将栗田刑部さまがおのぞみなされたのじゃ」
 
 「今は城兵の命、今明日を期しがたし、哀れ願わくば、太夫がひとさしうけたまわりて、この世の思い出とつまつりたし」
 
 そして前後七年を要した高天神城の争奪戦はついに再び家康の勝利となって終りを告げたのである。
 
 「足かけ七年間の捕虜がいまだに生きているというのだ」
 
 「殿はいずれにおわす。大河内源三郎、早く殿のお顔が拝みたい」