◎後の月
ここへこうして起居するようになってから、信康には、はじめて両親の悲劇の原因がかって来たような気がするのだ。
(どちらも性格がはげしすぎた……)
父はいかにも戦国の男らしく用心深い根づよさを持ち、母は女の立場に執着していっさい自我を曲げなかった。
……育って来た世界の相違がはっきりと感じられる。
「あれは一昨年であったかの。お父上が、この信康や母の御前をはばかって、お万の産んだ於義丸と親子の名乗りをせなんだのは……」
「……やがて眼を赤くされて首を降られた。お父上は、この世のことは、秩序第一、和合第一……時にきびしく私情を殺すくせがある。……この信康は、母を殺し、父を苦しめて……不孝な子であったぞ」
「今までの信康の生は、生ではなかった。世間の浪にもてあそばれて、おのれを見失うた虚妄の影にすぎなかった。が、これからはおれ自身の意思を貫くのじゃ。正しくおれが考えどおりに生きるのじゃ」
言っているうちに、信康はだんだん自分の死が、一筋の険しい渓間(たにま)に、決定してゆくのを感じた。
(おれはどうやら死ぬ気になったらしい……)
忠隣
「強いばかりが武将の面目ではござりませぬ。先ほど若殿は何と仰せられました。大殿には思うことを口にせぬ一面があると……それはあながち、大殿ばかりではござりませぬ。思うことの、思うままに口に出る時節がいつ来るか、若殿! お願いでござりまする……」
「服部半蔵にござりまする」
「天方山城、主命によって参上いたしました」
(あるいは半蔵、山城の両人、信康が万一切腹を聞き入れないときは、一刀のもとに斬るように命じられて来ているのではあるまいか)
「母上も去る二十九日にご自害とうけたまわったが、事実であろうの」
「そうか。ではのう半蔵、この信康も切腹するゆえ、来合わせたついでにその方に介錯を頼むとしようか」
(ーー三代相恩の主君の首に当てる刃は……)
「若殿!」
「若殿に……若殿に……この場……ほかに何ぞおすすめすることが、あるのでは……」
「半蔵」
「は、はいッ」
「お父上にはな、これだけもう一度申し上げておいて貰おうかの」
「は……」
「この信康天地神明に誓って、一点のやましさもないと」
「二十一年の生涯だった。あれを苦しめ、これを苦しめた。しかし、その悔いも今はない。月はますます明るいようじゃ。忠世、世話になったの。忠隣によろしく伝えてくれ。さらばじゃ」
「若殿!」
(すべては終った!)
「忠隣、控えよ」
忠世は……酒井忠次と二人、信長の誘いに乗り、安土で洩らした軽率な言葉が、いよいよ鮮やかに彼を苦しめだして来ているのだ。
「なに家も禄も捨てて詫びすると……」
「いかにも、この使者を引き受けたときから高野山へ出家と覚悟して浜松を発って来た……大久保どの、服部どの、若殿の菩提をのう……」
「半蔵か、ご苦労だった」
「大殿! ご苦労ではござりませぬ。この半蔵に切腹を」
「信康の切腹ぶりは、どうであった。取り乱しはせなんだか」
「最後に仰せられたは、われら、天地神明に誓って一点のやましさもないこと、大殿にくれぐれも申し上げるよう……と、仰せかけて、いや、それにも及ばぬと、前言を打ち消されました」
「それにも及ばぬとは……?」
「お父上は、われらの心をよく知ってござるゆえ、そうだ、ただ三郎は静かに腹切ったと、それだけ告げればよい……そう仰せ直されました。……」
築山御前も死んだ……
三郎信康も死んだ……
八歳から十九歳まで、駿府で過ごした長い半生の形見は、これで泡沫(うたかた)のように消え去ってしまったのだ。
築山御前の瀬名姫を家康にめあわせた今川義元がいちばん先にこの世を去り、義元にぜひわが家の婿にと熱心に懇望した御前の父の関口刑部親永は、義元の子の氏真のために詰め腹を切らせられた。
その氏真はいまどこで何をしているのか?
「この父が泣いて取らそう。ふびんな奴め」
(妻も子も殺されて、そのまま織田の下風に立ってゆくのか……)
一つの坂で難渋して、それより先へ登ろうとしなかったら、車はやがて坂下へ狂ったように落ちだすに違いない。
(この坂を見事に越えてみせねばならぬ……)
「三郎!」
「そなたの死は、この父に、いちばん足りないものが、何であったかを知らせてくれたぞ」
「わしは武だけを重んじすぎた……この家康の肚を読み、諸将と巧みに駆け引きできる家臣を身近に持たなんだ。今後はこれに懲りようぞ」
こんどの事なども、酒井忠次と大久保忠世に少し手腕があったら、これほど悲惨なことにはならなかったように思える。
「ーー信康を罰するなどもってのほか、それでは東をおさえる力が半減いたしまする」
そう言い切ったら、信長も是非にとはいい得なかったかも知れない。
家康はいぜんとして脇息をつかんだまま動かない。