◎泣き獅子
「御台所さま、若殿はきのう、この城から追放され、牢人なされてござりまする」
「えっ!? 殿がこの城から追放されたと……」
「はい。まず大浜に謹慎を命じられ、やがて切腹のごさたとなろうと……」
「太郎左! いったい殿は……何のためにそのような」
「おん母君、築山御前とともに武田方へ内応したお疑いでござりまする。……」
石川太郎左は、言っているうちにだんだん御台所が憎くなった。
(おれは、御台所のお身を守れと命じられていたのだ……)
「昨夜、あの豪雨の中を、若殿は百姓姿で大浜から忍んで来られ……」
……自分が家中の者の怨嗟(えんさ)の的になっていることすら考え及ばなかった。
人間が自分の手足にことさら感謝しないと同じように、当然あるべきものとして、少しも疑わなかったところにさまざまな不平も愚痴もあったのだった。
「御台所さま、大殿さまが、これへ渡らせられまする」
「えっ、舅御さまが……そうか。ちょうどよいところ、……」
「何とぞ、私を安土へやって下さりませ。お願いでござりまする」
「いいや、こなたはどのような噂を耳にしたか知らぬが、こんどの事は右府の仰せではない。この家康が一存じゃ」
「そうじゃ。それゆえ安土へ行くに及ばぬ」
(軽率なのは決して徳姫ひとりではなかった……)
「こなたの心はよくわかった。が、のう姫、これはこのままに済まされぬわけあって、父のわしが涙をのんで裁いたことと思うがよい、しかし……」
「人には、人それぞれの持って生まれた運がある。この運には何人も歯は立たぬ。三郎がもしわしの上越す幸運を持っていたら……」
(いや、考えまい! 明日は切腹を命じよう)
(よし、今夜こそは決心しよう)
信康を、遠州の堀江ヘ移そうーー
……家康の心を察し、小舟をこいで現れる者がきっとある……
……父の居城に近い堀江の地へ移すのであろうと信康は受け取った。
「ーー親吉、お父上に、ご安堵あるように申し上げてくれ。三郎は決してお父上を怨んではおらぬ」
十二日になるとたまりかねて家康は、大久保忠隣(ただちか)を呼び出した。忠隣は忠世の嫡子であった。
「その方ただちに父のもとへおもむき、堀江にある三郎を二俣城へ引き取るように申し伝えよ。わしもこれから浜松へ引きあげる。万事手ぬかりのないように……」
(忠世、おぬしだけはわしの謎を解いてくれよう。のう、それで忠隣を使いさせたのだ……)
(信康め、自分でもまた、なぜ助かろうとしないのか)
「三郎! さあ来い。わしのあとからついて来い!」
「わしが悪かった……手もとにおかなんだのが過りだった……おじじ殿、おばば殿、お許し下され」
二俣城(ふたまたじょう)は、遠江国豊田郡二俣(現在の静岡県浜松市天竜区二俣町二俣)にあった日本の城。山城。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。