◎追放
「その信長どのから、母上は斬。この信康は切腹させよとお指図があったそうな」
「えっ?」
「母上は斬るように、そしてこの信康には切腹をと……」
「その決定は後のこと。母上は勝頼へ内応の誓書を送り、勝頼から請け書をとられた覚えがござりますか」
「請け書を取った覚えはある。それもこれもみな敵をあざむく策略じゃ」
「弥四郎や、減敬を、敵方の廻し者と見たゆえ、われらも同心したと見せかけたまでのことじゃ」
敵をあざむく策略……そのようなことのできる母ではなかった。とすれば、その証拠を取られたこの哀れな母を救う道があるのであろうか……?
もはや築山御前が減敬や大賀弥四郎に利用されたことは疑うべくもなかった。
(油断であった……)
「若殿……」
親吉は信康が近づくと、
「あれをご覧なされませ」
信康はギクリとした。家康がひきつれて来たらしい軍兵が門を固めに立っている。
「本日より、当岡崎城の留守、この作左が仰せつけられました」
家康ーー
「三郎信康、その方儀、今日限り、この城を追放、当分大浜にて謹慎申しつくる」
「……武田勝頼に内応し、築山どのとともにこの家康を討とうと計った不届き者。親吉。信康を引っ立てえ」
「あっ! お父上! お父上! それはあまりな……お父上……」
……松平家忠は、
「若御台はむごいお方じゃ!」
……みな、みなこの悲劇を、徳姫の告げ口からと思いこんでいる証拠であった。
昨日まで信康の居間であった書院に黙然と坐っていると、家康は、生まれて三十七年間の人生が、すべてむざんな悪夢のように想えて来た。
(いったいどこに、このみじめな今日の原因があったのであろうか……?)
ただ本多作左衛門には、そうした家康の心が悲しいまでによく分っていた。
家康はこれ以上に、一点の非も信長に打たれまいとして必死なのだ。
信長は婿舅の私情をはなれ、日本へ新しい秩序をもたらすために泣いて信康の自決を迫って来たという態度を持っている以上、家康もまた、それに劣らぬ大所、高所からの措置が必要であった。
……決して信長の私臣ではないと言う立場をはっきりさせるためには、万一の手配りにみじんの過ちも許せなかった。
「よいか。決して何事もなかろうと、たかをくくっては相ならぬぞ。……」
その雨の中へそのとき一つの人影があらわれた。
「お父上!」
叫ぶように一声言うと、そのまま庭先の地べたの上へ両手をついて泣き出した。
「……それゆえ、祖父清康二十五で生命を捨てた。父広忠も二十四歳で生命をおとした。……」
「……が、ただ一つ……」
……
「ただ一つ、この三郎が、武田方に内応したなどと……それだけはあまりにむごい仰せ方……それだけはお信じ下さりませ。……あの世で……あの世で……祖父にも曾祖父にも合わす顔がござりませぬ」
「くどい。戻れっ」
歩きだしてすぐ庭石につまずいたのは、足もとの暗さのせいばかりではなかった。