徳川家康公は、正室、側室あわせて何人の妻がいたのですか?そのなかで、特に愛した女性は、誰と誰ですか?
記録上確認できるのは以下の20名です。
又、家康の側室は未亡人が多いいです。
正室・築山殿(関口親永娘)
継室・朝日姫(豊臣秀吉妹)
継室とは正室が亡くなった後に正室になった妻です。
側室
下山殿(秋山虎康娘)?
お万(正木邦時娘)?
小督局(永見吉英娘)?
西郷局(戸塚忠春娘)?
お竹(市川昌永娘)
茶阿局(花井某娘)?
お夏(長谷川藤直娘)
お梶(太田康資娘)?
お梅(青木一矩娘)?
阿茶局(飯田直政娘)?
お牟須(三井吉正娘)?
お亀(志水宗清娘)?
お仙(宮崎泰景娘)?
お六(黒田直陳娘)?
西郡局(鵜殿長持娘)
法光院(不明)?
三条氏(不明)
某(松平重吉娘 )
寵愛が一番深かったのは西郷局といわれていますが以下の4名が挙げられます。
西郷局・二代将軍秀忠、松平忠吉の生母。美人で、また温和誠実な人柄であり、家康の信頼厚く、周囲の家臣や侍女達にも好かれていたと伝わります。28歳で死去。
茶阿局・松平忠輝、松平松千代の生母。聡明であったため、家康の寵愛厚い側室となり、奥向きの事を任され、強い発言力と政治力を持つようになったと伝わります。
お梶・非常に聡明だったことから寵愛を受け、一時松平正綱に嫁されていたが、すぐに家康の元に戻されています。又、鶴千代と結城秀康の次男・虎松、外孫の振姫の養母となっています。
阿茶局・戦場において幾度となく家康に供奉しています。西郷局没後は徳川秀忠、松平忠吉を養育しています。