◎決戦
「今だ。柵を踏みつぶせ!」
「蹴ちらして信長の本陣へ殺到しろ」
と、そのときだった。
柵の前に密集してしまった騎馬武者二千の上へ、信長の伏せてあった千挺の鉄砲が、いちどにダダダーンと天地をゆすって射ち出されたのは……
一瞬あたりはシーンとした。
一発一人必ず倒すと言われた片眼をつぶって狙う信長の新式鉄砲。それが千挺、一度にかたまった人垣を見舞ったのだ。
「引き揚げろうッ!」
「一人ものがすな。これはわれらの戦ぞ。三河武士の戦ぞ。のがすな」
手も足も出ないとはこのことだった。
勝頼の代に至って、信玄の時代をなつかしみすぎた武田勢は、戦術の面においてもまた信玄時代をそのまま踏襲していたのだ。
その間に武器は刀から槍に、槍から鉄砲に移っていた。
跡部大炊助の言葉によれば、佐久間信盛は信長を裏切って、必ず勝頼に味方するはずであった。
三郎兵衛はむろんそれを信じてはいなかったが、万が一……という期待はどこかにあった。
信長は「練りひばりのようにあしらってやる」と豪語していたが、まさにそのとおりであった。
もはや、一人一人が名乗りあって斬りむすんだ姉川の合戦のときのような風景はどこにも見えず、戦の様相は全く集団と集団の激突に変わり、激突した瞬間にまちがいなく千挺ずつの鉄砲が火を噴いて、用捨なくその勝敗を決していっていた。
そして、第三の柵にとびかかった真田勢と、土屋勢はそこで全く壊滅してしまっていた。
敗戦などと言うものではなかった。
「若殿も、不運な人よ」
信房ーー
「すでに勝敗は決したと申し上げよ。……よいか、今生ではもはやお目にはかかりませぬと、しかと申せ」
「そうじゃ。運のいい奴、槍を捨てて介錯せよ」
「人が来てはそちの手柄になるまい。来ぬうちに急げ」
「潔い最期、戦って勝った首とおれは言わぬ」
九八郎は……
「はて、その旗は何としたのだ。それは八幡太郎義家から伝わったという武田家重代の源氏の白旗ではないか」
滅ぶる者と興る者。
眼に見えない何ものかがそれをきびしく裁いてゆく。
あまりに静かな勝利が、九八郎にはかえって薄気味わるかった。
(いったいこの勝利から何を学べと言っているのであろう……?)
「全く勝頼という大将、どの面さげて甲州へ戻ってゆく気か。一万五千、ほとんど全部失ったげにござりまする」
「鳥居強右衛門、戦は勝ったぞ。もはやどこにも敵は見えぬぞ」
九八郎は小声でつぶやくと、不意にはげしく、肩を揺すって男泣きに泣きだした。
(勝った戦にしてはこの淋しさは何事であろうか……?)
そして、こうした手ひどい経験にはじめて会った亀姫が、きりりとした襷(たすき)がけで、味噌を焼いているのを見るとようやくホッとして、
(勝ったのだ……)
「どこを歩いてござりました。さ、召し上がりませ」
「戦とはおかしなものよのう」
「いいえ、おかしなものではござりません」
「戦いとは強い者が勝ちます。辛抱の強いものが」
家康は、よく守ったと、むしろ沈痛に九八郎の労をねぎらったうえで、
「これで織田どのに大きな借りができた。いずれそれを返させられようでのう」