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さすがは徳川どのの片腕

2016年01月04日 (月) 16:58
さすがは徳川どのの片

◎智略戦略
「隠れ遊びの術」
敵味方の兵力を冷静に計算して、味方に勝算なしと判断したときには、さっさと敵に待ちぼうけを喰わして引きあげてゆくのである。
(信長はそれを知っていて、わざと腰を重くして来た……)

「三郎どのは?」と、信康の姿のないのをいぶかしんだ。

「何はともあれ、今度の合戦ではお身は仏像にでもなった気で、万事はこの信長に任されたい。相手が決戦を挑むときまれば勝ったも同然、お身は遊山のつもりでよい。……」
家康の顔へチラリと不快ないろがうごいた。ご加勢と言いながらやはり信長は、この戦をわが力の勝利として天下に確認させたい肚なのだ。

「ご加勢を……」

「ご加勢を願ったわれらが遊山のつもりでいては相済みませぬ、われらもまっ先にかけて働きまするが、お言葉は肝にきざんで」

「……ここまで織田勢に働いていただいては、家康ちと心苦しい!」
信長はニタリと笑った。
(なかなか考えていくさるわい……)
……二人の大将が互いに策と力を競いあい、双方の長所を生かして戦うところに連合軍の強みはうまれて来る。

「武田勢が、わが方の陽動隊を追ってここ、有明(あるみ)ケ原へ兵を押し出して参りますと、後ろが空になるかと心得ますが」

「そのときひそかに後ろへまわって、鳶の巣山の砦を乗っ取ってはいかがと存じまする」

「はい、この役目、もしそれがしに仰せつけ下さりまするならば、前夜のうちに敵の背後にまわり、暁け方には鳶の巣山を乗っ取ってご覧に入れまする」

「これ忠次!」
「はいッ」
「この信長はな、四十二歳になって、はじめて古諺(こげん)の意味を知ったわ。蟹は甲羅に似せて穴を掘るとな。ハッハッハッハ、たわけ者め!……その方の器も相分かった。退れッ!」

「やはり見抜かれたか。では、いま一度忠次を呼んでいただこうかの」

「これで勝ちましたな。いや、ようやく勝つと腑におちました」

「さすがは徳川どのの片腕、さっきの策略、信長心から感服したぞ。実はの」
「…………」
「陣中といえどもなかなか油断はできぬのだ。……だが、出て参った敵がわが方の最初の一撃にあって、これはいかぬと気づき、そのまま引きあげたのでは漁は少ない。…………いや見上げた策じゃ。信長ほとほと感じ入った。が、夜襲はの、敵に洩れては成功せぬ。それで諸将の前ではわざとその方を嘲ったのじゃ。……」
「そ……そ……それはまことにござりまするか」

「では、どうあっても、ここで決戦なされまするか」
正面の勝頼に、思い切りわるく言ったのは馬場美濃守信房だった。

「とにかく佐久間の裏切りなどに期待はかけまい。これは万一手柄を立てて参ったときに考えればよいことじゃ。……」

軍議を終って本陣を出ると、すでに遅月が出ていた。
馬場美濃守信房はその月を見あげて、後から出て来る山県三郎兵衛を待っていた。
「山県どの、これまでご別懇に願ったが、そろそろお別れでござるの」
「いかにも、時の勢いでやむないことに存ずる」
「ちとお身にお話し申しておきたいことがござるが」

(みんなこんどは討ち死にする覚悟なのだ……)

「……このうえ申さば、おん大将が暗愚であった、家臣のしめしがつかなかったと後の人に笑われようでの」

「山県どの、お身は生き残って下され!」

「馬場どの、お身がその役引き受けられよ。……」
結局武将が心服しきって働ける大将は生涯にただ一人しかないにではなかろうか。
とすれば、信玄の死んだときに、自分は後を追うべきではなかったのか……?
自分と同じような感慨で、心の底では信玄を慕いぬいている者が多く、それがかえって勝頼の不為めになっているのではなかろうか?

「それでもなお一歩もひかずに戦うのだ。さ、水盃して別れよう」

「では、山県どのから始められよ」
「おお、かたじけない。馬柄杓の水の中にも月が映ってござるぞ」

「弓矢八幡、照覧あれ、方々お先に」

「おお、うまい水じゃ。得も言われぬ」

「ハハハ……」と小山田兵衛は笑った。
「ここで死んでゆく……何だかみんな嘘のような気がするのうハハ……」

天正三年(1575)5月21日

「はてな、敵は柵の外へ出て来るぞ。誰かある。ものみして参れ」

「よし、まだまだ出るな。ひきつけよ」
そう言ったときだった。こんどはずっと後方の鳶の巣山で遠雷に似た声がわき上がったと思うと、つづいて、ダダダーッっと雪崩れるような銃声がとどろいたのは……
ダダダーッ
ダダダーッ
「しまった!」


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