◎謀略の中
「父上が、おれを三方ヶ原に連れていたら、むざむざ負けはせなんだなあ親吉」
「親吉、そちの思うままに申してみよ。父上は戦が下手なのではあるまいかの」
親吉はまた黙っていた。若さは単純さに通ずる。ときどき信康が自分の器量を父と比較しようとするのを、親吉は苦々しく思っていた。
(この空気はいつから生まれたのであろうか)
が、家康は決してこうしたことをしなかったが……と、親吉は思う。しかし、それを諫止したものかどうかとなるとこれも迷わざるを得なかった。
「お見事!」と言いながら、どこかに残心の不足が想われ、親吉の心はチクリと小さな痛みを覚えた。
(お館がすぐれすぎているからであろうか?)
「ありがたき仕合わせながら、その儀は前例なきことなればお断り申し上げまする」
親吉は次の間に坐ったまま、妻妾ともに祝膳につかせる気の若い大将をどう諌めようかとハラハラした。
「何の! わらわがあらぬを幸い、お万のほかに近ごろはお愛と申す女子までお近づけと聞いている。そのようなお父上に何で遠慮がいりましょう。あやめをお連れなさるがよい」
あやめはただ継母の憎悪をのがれるために減敬に連れられ甲斐を発って来たのである。そして甲府生まれというてはならぬと命じられるままにそれを隠して信康のもとへ奉公にあがったのだ。
一つの果実しか手にしなかった少年が、次の果実を与えられ、これこそ美味と思うたときは、はじめの果実は遠ざけられる。
「ーー徳姫よりそなたが……」
そう言われるとあやめの不安は幼い歓びに変わっていった。そのあとにどのような波瀾が残るか、その計算はつかなかった。
「三郎は、予が生死の間をさまようている折りに、女狂いをしていたのかと、ひどくご不興にござりました」
「と、心やすう仰せられまするな。女狂いのうえに無駄な費え、いや、武備さえ忘れている。この分ではやがて勝頼が下風に立つであろうと、きつい不興でござりました」
「なに、勝頼が下風に立つと……」
信康の頬からサッっと血の気がひいていった。
「奸臣どもの中傷でござりまする。奸臣どもは若君のご生母とお館様の不仲をよいことに、若君まで遠ざけて、我意を振るおうというのでござりまする。若君! その手に乗ってはなりませんぞ」
「思うても見よ。殿は、あれこれとわらわが知るだけでも五指にあまる女子どもと戯れて、何の不自由もなくお暮らしあるに、わらわは自分で病を求める哀れさじゃ」
「恐れながら、それゆえお館さまは、闊達に戦ってござりまする。女子も近づけられぬようなお方では、この栄えは思いもよりませぬ」
「戦と言えば、……そちたちの眼には何と映りまする。こんどの武田方との一戦は」
「さあ……お館さまは日の出の勢い……といって甲斐の信玄はこれまた日本中に鳴り響いた大将……われらずれでは、とんとお力がわかりません」
以前には何事も「尊敬すべき主君」としての家康が中心だったのに、いつからか「ただの女、築山御前」を中心にした考え方になっていった。
「あやめのことを徳姫さまに、何かと告げ口する小癪な女……夫婦の間をみだす女と若君さまに申し上げたら」
あるいはそれは、良人である家康を唯々(いい)として裏切ろうとしている女の不潔さに対する怒りなのかも知れない。
(これが女の一生だったのだろうか?)
「不届きな奴、お手もとへ返すまでもなく、この信康が成敗いたしまする。が、ご安堵なされませ、あやめはそのような女子ではありませぬ」
相手にされなかった腹立たしさは、やがて御前を底なしの孤独の沼へ引き入れた。