◎底を貫く
「お館!」
「見せられませ。馬の鞍つぼにせつな糞をもらしてござる!」
「たわけめ! 腰の焼き味噌じゃ」
(これほど強情に戦いぬかずとも……)
「ねらいはどうでもよい。点火してぶっ放したら、一世一代の声でわめけ」
「この戦、よく考えると勝ちました。おめでとうござりまする」
「おう、負けてなるものか。八千で三万の大軍を追い返しているではないか」
「強がるな」と家康は言った。
「負けたのじゃ。が、負けても屈しなかったまでのことじゃ」
「なるほど。負けても屈しなかった……そうであった。敗け! おめでとうござりまする」
「許せよ……」と、一人ずつに声をかける。どの名を見ても胸がせまって涙がこぼれてならなかった。
「去年の戦だ。よい経験になったぞ」
「今年はわれらが運命の決する年ぞ」
「それに、若君さまへ側女があがられましたとか」
「大賀さまのおすすめで、あやめ様とか申すそれはそれはおきれいな方とこれは徳姫さまおつきの腰元衆からの知らせでござりました」
「うむ。弥四郎が世話したとか。それならば、素性は正しいものであろう。そうか、三郎に子がのう……」
「なに師走……すると三郎め、予が身を粉に砕いているときに側女あさりをやっていたのか」
人生の底を貫くものはやはり絶えざる不安なのであろうか?
(内に崩れる原因を芽生えさせているのではあるまいか?)
よくある例である。父の苦心経営のかげで、その子が徐々に破滅の石を積んでいる例は。何よりも今川父子が……