◎運命星座
われらとの交誼を忘れてわれらが鎧袖一触(がいしゅういっしょく)敗退せしめた家康などに味方してなんの利益ぞーーそうした意味が言外にあふれていたのである。
「家康はこうして決戦を避けながら信長の援軍を待ってござるし、われらがお館は、信長が怖れて援助を断念する日を待ってござる。考えていることはいずれも援軍」
(その間に、岡崎城では女房どもが、大それた陥穽(かんせい)を掘っているとも知らずに)
(油断こそはあらゆる物事の崩れのもと)
信玄の眼にうつる勝頼には、まだその点で危げが感じられた。
問題は織田信長のあり方であった。
信長の内心はどうあれ、自分との同盟を破って家康に援軍を送ろうなどとは思っていなかったのだ。
月が出ると見えなくなる星。
光を争って、見えざるままに消える星。
「ーー城の中にも風流を解する者がいると見える。なかなかの名手じゃ」
「総じて戦に油断は禁物。わが聞く場所を感づいていた者があり、そこへ昼のうちから狙いをつけておかれて鉄砲でも打ちこまれては生命をおとす。今宵かぎりゆえ、みなもよく用心するように」
月がかげった。
あるいは笛が雲を呼んだのかもしれない。
と、その瞬間にダダーンとあたりの谷と山と川と大地に
百目玉のとどろきがこだました。
「あっ!」
(生きねばならぬ! 死ぬものかッ)
「何であろう、今の鉄砲は」
(今さら何の使者であろう?)
(どうも腑におちぬ……)
「敵の大将信玄さま、陣中にお果てなされたという噂でござりまするが」
「なに!」
「……噂の出所を申してみよ」
「ふーむ。そして夜が明けると人質換えの使者が来たか……」
(相手の不幸を喜ぶなッ!)
◎悲劇の麦
「藤吉、精が出るな」
「これは、おん大将だ!」
「死んだ……もし死んだとしたら、半兵衛、そちならば何とするぞ。よいか。そち、武田の軍師になった気で答えて見よ」
「父に劣ること二段」
「一段は?」
「年齢でござりまする」
「あと一段は」
「性急さにござりまする」
「ハハハ……」と信長は笑った。
「性急ならば、おれの方がずっと上だわ……」
「人は自分の器を知らねばなりませぬ……」
「冷たい奴め! 聞いたか藤吉、半兵衛は油断がならぬぞ」
「……家康どのに進言して、そろそろその手をうたせまするな、この秀吉ならば」
「おん大将ずるいぞ!」
「この秀吉に、浅井、朝倉の攻めを仰せつけられとう存じまするる」
多くの血潮で大地をきよめようと悲願する……その血潮の中に、自分の血の吸われるのを忘れてはならない。
「姫が心もとない。おそばに小侍従ひとりでは……」
(家康どのの御台所には、良人の悲願がわからぬらしい)
秀吉の妻女はかつてお八重の愛称でよばれていた浅野氏、寧々夫人である。