ありがとうございます!
「虎、それは子どもの理屈じゃ。これをしたい、と思ったらもう歯止めが利かん。それでは子どもと一緒じゃ。俺は時々、お前が恐ろしゅうなる。日本国を守りたいというお前の気持ちはよう分かる。じゃが、そのためなら世間のしきたりも、お家の掟も、主君への忠義も、お構いなしに踏み越えようとする。そのことで一家が後ろ指をさされ路頭に迷おうとも、お前は『公のため』『天下万民のため』や言うんじゃろう。 じゃが、それは詭弁じゃ。勝手を許されんかった五歳の子どものわがままと変わらん。」
「……寅次郎、どうか、大人になってくれ。一家を構え、守るべきもんを持ち、正しいやり方で、世の中を変えればええ。……」
「呪われとる・・・ みんなで牡蠣を食うても俺だけあたる。神社のおみくじ、いつ引いても凶が出る。神様にも愛想をつかされとるんじゃ」
今日の花燃ゆのセリフですが、いずれも自分と重ねて観ていました。
「所長、大人になってください」とは、以前、妹がよく涙ながらに言っていた時期があったなという感じです。
今も基本的にはあまり変わってないなと思います。
「神様に愛想をつかされ……」ーー私は「梵天帝釈に愛想をつかされ……」かも!
私は題目をあげると、どうも先に自分の宿業が出るようです。今思えば本部幹部会九州総会という鏡に照らされて、帰ったら即どっと出た感じです。
「須弥山に近づく鳥は金色となる」
「幹部腐敗の先駆・三池圏」
私は、副県長に『将及私言』(しょうきゅうしげん)。学会の世界だから死罪にはなりませんが、あんなことを言って、仕事の方はやっぱり断られるかな……やっぱり関係の深いところは悉く離れていく……これまで離れていった関与先も、全部自分が原因だな……
おまけに今朝奥方から
「子供たちはとにかく、お父さんのようにならんようにせんといかん、お父さんが悪い見本を見せてくれたから良かった、お母さん本当によー耐えたね、といつも言っている」
と言われたものですから。
午前中は題目あげても益々気持ちが重たくなる。午後24歳ラフィネ嬢マッサージ中に胸中題目をずっとあげていて(あげていかないと、もうどうかなりそうでした)、徐々に中和され、次第に気持ちが転換されてきました。
(こんなことで副県長と壊れる関係ではない)
(子供たちは二人共にいい試練にあっている)
(諸願満足の信心だ)
奥方も先程言っていました。
「そういう幹部は、実情は苦しいけれども、内実を知られたくないから表に出されないだけ……潔さんはそれを数字で知っているから余計にそういう態度を取られるのでは…」
……私、一瞬無言……目の色変わって
「そうたい!!ようわかるねえ!」
「だから潔さんもそう気にせんでよかとよ……人にしたことは全部跳ね返ってくるから、そのうちに現象の出らすけん」
「そうね」
「やっぱり潔さんには私がおらんとでけんね」
仏法の透徹した眼(まなこ)から見れば、
打ち続く苦難にも
一つ一つ深い意味がある。
大変な時にこそ、
無量の「心の財(たから)」を
積むことができる。
何をするにも、一生懸命な先生だから誤解されることも多いと思うし…先生みたいに国際的なコスモポリタンに対して井の中の蛙の日本人は先生とは反対に消極的でまるで念仏みたいに暗い挨拶一つにしても恥ずかしのかできない人達が多いと思います…。皆んな後から後悔しているならまだマシですが気づいていない。先生は題目で研ぎ澄まされた生命だから鋭く感じられることでしょうね。他には、先生に何かで勝ちたい嫉妬からか、せめて中身を見せたくないのか…調査の時にあれだけ助けられたのに、恩を忘れて、増上慢の生命目の前で挨拶しているのに顔をそらす礼儀知らずの幹部が如何に多い九州か…と私も感じています。私も仕事がいつもギリギリ、ハラハラではなく悠々と仕事をこなしていけるように絶対に負けない題目あげて全ての戦いに勝利してまいります。先生のことも毎日、祈っています…??