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文武の道を熱く語る

2014年08月31日 (日) 21:04
文武の道を熱く語る

第38章
ドン・キホーテ、
文武の道を熱く語る。

文という柱なくして武は立ちゆかないという事実があります。戦争も法に依拠し、法に従って行われるからであり、その法は文と文人の管理下にあるからであります。これに対して武の側は、文とて武なくしては立ちゆかんといいます。

第39章
アルジェより帰還せる
捕虜の回想

「父が、財産に堅い人であったら、いつまでも長者だったでしょうが、無欲で、気前がよくて、……軍隊ではケチも気前がよくなり、気前のよいのは浪費家になります。……それにしても、父は度が過ぎていました。気前がいいのを通り越して、つかい散らす、浪費の癖がありました。
この癖は、身を固めて、子をなし、その子に家財産を継がせようという場合は、取柄になりません。……父が申しました。自分の浪費癖は改まりそうにないから、その癖の元を立つ、財産を使い散らすのは、財産があるからだ、あるから気前がよくなる、なければ、豪気で鳴るアレクサンドロス大王とて財布の紐を締めたと。」

財産を等しく四つに分ける…教会か、海外か、国王か、……教会の僧籍に入るか、海外雄飛の商人(あきんど)になるか、都の国王に仕えるか……一人は文の道へ進み、一人は商い、一人は戦場(いくさば)で王に仕えてもらいたい。

裏切りは喜んで迎えられるが、裏切り者は唾棄される。

第40章
アルジェより帰還せる
捕虜の回想、続。

トルコ人には体の欠点や美点を名にする慣例(ならわし)があります。あちらでは、家系を示す姓は、オスマン家から出ている三つ四つがあるだけなので、…体の欠点や心の美点を名や姓にします。この田虫男は皇帝の奴隷の身分で十四年間船を漕ぎ、三十四歳でキリスト教からイスラムに転宗(ころ)びました。船を漕いでいた時トルコ人にひっぱたかれ、それを根にもって復讐をたくらみましたが、手の出しようがなくて、悔しくて、手を出せる身分になるためキリスト教を棄てたそうです。

第41章
アルジェより帰還せる
捕虜の回想、続続。

『恥知らずめ。どこまで聞き分けのない娘だ。自分がなにをしているか分かっておるのか。目が見えておらん。犬畜生どもの言いなりになりよって、情けない。こいつらは生まれながらの敵だ。そんな娘に育てた覚えはないぞ。蝶よ花よと甘やかしたのが悔やまれる』


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