Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

既得権益

2014年08月21日 (木) 20:38

FROM 三橋貴明

官僚批判、公務員批判、公共事業批判、土木・建設業批判、
電力会社批判に共通するものは、何かおわかりでしょうか。

少なくとも四つありまして、

(1) 批判の仕方が「木を見て、森を見ない」形になっている
(2) デフレ下で所得減少に苦しむ国民のルサンチマンを煽る
(3) 日本国の安全保障の弱体化に直結する
(4) 政治力が弱く、弱い故に叩かれる

になります。


官僚・公務員を批判する場合、不祥事や「給料泥棒」など、
一部の問題(木)をクローズアップさせ、官僚制度や
公務員制度全体が「悪」であるかのごとく、印象付けるわけです。

結果的に、「霞が関改革」やら「民営化」といった
極端な自由化論が推進されることになります。

「霞が関を解体しろ!」

などと叫ぶ人は、自分が言っていることが
「革命」そのものであることに気が付いているのでしょうか。

公共事業、土木・建設業の場合は、「政治家の汚職」。
電力会社、特に原発関連では「原発村」。

本来、公共事業の在り方や原発政策は、
国家の安全保障と絡めて議論されなければならないのですが、
一部の問題(木)について大仰に語ることで、全体を悪として印象付けるわけです。


次に、ルサンチマンですが、長引くデフレで
国民の「不満」がたまっています。その状況で、
「公務員は安定して、所得も下がらないんですよ」
などと、国民の嫉妬心を煽り、不満をぶつける対象と化すわけです。

要するに、ナチスが得意とした全体主義の手法ですね。

上記を継続すると、いつの間にか「公務員を増やす」
「公共事業を増やす」「原発を再稼働する」など、
日本国民の安全保障を強化する政策を「口にする」ことが
できなくなっていきます。と言いますか、
「口にできなくなる」空気のようなものが、醸成されてしまうのです。

というわけで、三橋はテレビなどで上記の空気をぶち壊す発言を
故意にするわけですが、一瞬、場が戸惑った感じになるのが大変面白いです。

ちなみに、三橋がデータや事実に基づかない発言を
しないことが知られているのか、面と向かって
反論されることはあまりありません。
(反論すると、即座に、容赦なく数字で返しますので、三橋は)


すでに書きましたが、官僚、公務員、公共事業、土木・建設業、電力は、
全て我が国の安全保障に関わってくる分野です。

そもそも、安全保障とは単体では利益が出る事業ではありません。
しかも、安全保障を強化したとしても、無駄に終わる可能性もあります。
非常事態が発生しない限り、安全保障強化を実感することは困難です。

とはいえ、安全保障の強化のための努力をしないならば、
そもそも政府などいらないのです。日本ではなぜか、90年代以降、
国民の安全保障に関わる分野で働く方々が集中的に攻撃され、

「安全保障を強化するために、公務員を増やせ!」

という、当たり前のことすら政治家が口にできなくなっています
(というわけで、三橋がテレビでそのまま発言して差し上げています。
一瞬、場が戸惑う「空気」になるのが本当に面白い)。


ラスト。結局、なぜ官僚、公務員、土木・建設業、電力産業などが
叩かれるかといえば、要するに「政治力」が落ちているためだと思います。
同じ話は、農協や医師会についても言えます。
(公務員はそもそも、政治力を持てないわけですが)

誰に対して、落ちているのか。もちろん、経団連に
代表される、グローバル企業の「既得権益」です。

農協が「既得権益!」と批判され、経団連が
批判されないのは、単に政治力の差なのです。

誰がどう考えても、経団連も既得権益の一つ、
と言いますか、日本最強の既得権益でしょう。

そう考えると、現在の「安全保障に関わる分野」に
対する理不尽な攻撃は、安全保障とはあまり
関係がないグローバル企業を中心とした「既得権益」が、
政治力を発揮しているに過ぎないと捉えることもできるわけです。

経団連、構造改革主義者、グローバル主義者たちが
熱望する政策を推進していくと、防災安全保障、
食料安全保障、エネルギー安全保障、医療安全保障などが
弱体化していくことになります。


反対側で、何か良いことがあるかといえば、
「あちらの既得権益」の皆様の利益が拡大するという話に
過ぎませんので、これはもう、徹底的に反発せざるを得ないわけでございます。



ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に弱者が強者に対して、憤り・怨恨・憎悪・非難の感情を持つことを言う。

デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある[要出典]。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)でこの言葉が利用され、マックス・シェーラーの『道徳構造におけるルサンチマン』で再度とり上げられて、一般的に使われるようになった。


セーレン・オービエ・キェルケゴール(デンマーク語: S ren Aabye Kierkegaard、1813年5月5日 - 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家[1]。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。

キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: