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4.出稼ぎ労働者の増加

2014年08月15日 (金) 11:21

戸籍制度により、農民の農村部から都市部への移動が制限される中、1978 年に農村 で「生産責任制」が実施されると、農業の生産性が向上し、農村部における余剰労働 力の問題が顕在化した 8。 この時期、集鎮地域で大きく発展した郷鎮企業 9 が農村の余 剰労働力の受皿となっていたため、1984 年、中国政府は、一定の条件を満たす場合に は農民が集鎮の戸籍を取得することを認め、これら地域への就業を正式に認めるよう になった。
その後、中国政府は、1986 年、国有企業が農村から労働者を募集することを初めて 許可するとともに、1988 年には、農民の地域間・省間の移動を認め、さらに中・大都市の労働行政機関に対して、農村労働力を吸収するよう呼びかけた。
これにより、都市戸籍がないまま農村部から都市部に移動し、出稼ぎ労働者となる 者が急増するようになった。現在、農村部から都市部への出稼ぎ労働者は 1.2 億人と いわれ、中国経済の発展の一翼を担っている。しかし、その労働条件は過酷であり、 都市戸籍がないことから様々な問題が生じている。このため、出稼ぎ労働者の問題は、 中国政府の重点課題の一つと位置付けられている。
なお、中国における「出稼ぎ労働者」は、日本における出稼ぎ労働者のイメージと 異なり、農閑期に都市部で働くというよりも、一年中都市部で働いている者の割合が 多い。

7 「集鎮」は都市ではなく、小さな町を指す。農村に一番近接する非農業地域であり、郷鎮企業が集中 する地域でもある。
8 それまでの人民公社の体制は、共同で農作業を行い、収入もほぼ横並びの状況であったため、生産者 の労働意欲が減退し、生産量、生産力が落ちる要因となっていた。このような状況に対し、農家を単位 とした生産責任制が導入されると、農民の生産意欲は高まり、農業の生産性は著しく上昇し、余剰労働 力が生じるようになった。
9 県級市の末端自治区である郷と鎮にある中小企業


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