戸籍制度の成立と改革
中国では、建国以降、戦後の復興と重工業の推進が進められた結果、都市と農村間 の所得格差が生じるようになり、1950 年代には農村部から都市部への大規模な人口移 動が生じた。しかし、都市部の人口の急増は、食料難を引き起こし、住宅、交通、就 業といった社会的インフラ面が追いつかないという問題を深刻化させた。
このため中国政府は、1958 年、「戸籍登記条例」を公布、農村部から都市部への戸 籍の移動を厳しく制限した。さらに、都市部だけの社会保障制度や基本生活用品の配 給制度を構築、都市と農村を分離させる「二元社会」が形成された。これにより、農 村戸籍を持つ農民は、自由に農村部から都市部へ移動し、就業することが出来なくな った。また、都市戸籍を持っていても、都市間の移動が制限され、特に小都市から中・ 大都市への移動は極めて困難であった。
しかし、1980 年代になると、経済の発展とともに労働力の移動が求められるように なり、徐々に戸籍制度の改革が進められた。1984 年、農村戸籍であっても一定の条件 を満たす場合には集鎮 7 の戸籍取得が認められるようになり、1997 年には、一定の条 件を満たす場合には小都市の戸籍取得が認められるようになった。
現在では、農村戸籍と都市戸籍の区分を撤廃した省もあり、地方によっては戸籍制 度改革が進んでいる。しかし、大都市では、一定額以上の住宅の購入が都市戸籍を取 得するための要件とされるなど、依然として都市戸籍を取得することは難しい状況に ある。
4 小平が進めた「改革開放政策」は、農村部での人民公社解体と「生産責任制」の導入、都市部での 経済開発区設置、外資資本の積極的導入と企業の経営自主権の拡大などの経済体制の改革を中心に行わ れた。
5 日本の労働基準法に相当する法律
6 1997 年末に労働契約制を実施した企業の労働者数は1億 728 万人に達し、労働者総数の 97.5%に達し た。この頃には、労働契約制と固定工制という2つの制度が併存する問題は解決されたといえる。