◎まえがき 顧 明遠
中日友好は随、唐代以前から今日に至るまで、すでに千五六百年の歴史をもっています。そのなかで、わずかに数十年間、不愉快なできごと、すなわち一部の軍国主義の野心家がもたらした侵略戦争が起こりました。歴史を正視するとき、この百年来の苦痛の歴史を忘れてはなりませんが、それ以上に、悠久の友好の歴史を忘れてはなりません。私たちはこのような共通認識に立つことができました。
第1章 教育と人生
〜激動の時代を生きる〜
「わびる必要はありません。あなた方も、われわれと同じように多大な苦難に見舞われたわけですから、謝るべきなのは、日本政府であり、一部の政治家であり、侵略者です」
魯迅「生命の路」
『路(みち)とは何か。それは路のなかったところに踏み作られたものだ。荊蕀(いばら)ばかりのところに開拓してできたものだ。むかしから、路はあった。将来も、永久にあるだろう』
私は「愛情なくして教育なし。興味なくして学習なし」という言葉の真理をつかむことができました。生徒への愛情をもって、まず生徒を尊重し信じてこそ、生徒に対して要求できるのです。そして教師の生徒への愛は、親子の血縁を超えて、民族への愛であり、人類の未来への愛の表現なのです。また、どうやったら生徒への興味を引き出せるか。これは教育科学であり教育芸術です。
第2章 教育と文化
〜多元的世界文明を求めて〜
かつて中国は、身のほどをわきまえず思い上がっていたことがあり、自分が世界の中心であると考え、こっぴどく、してやられたではありませんか。トインビー博士は、中国清王朝の乾隆帝(けんりゅうてい)がイギリス国王に出した手紙を引用し、清王朝の傲慢さと無知蒙昧を説明しました。そして清王朝は、ついには西洋の堅固な船と機動的な大砲のもとに滅び去ったのです。