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午前8時の太陽

2014年05月19日 (月) 00:14
午前8時の太陽

今晩は!
マレーシアメンバーを迎えてのアジアユースセミナー、いかがでしたか?さぞかし盛上ったことと思います。

深夜になりましたが、私は今日の聖教新聞を読んで最高に感激しております。
なんと言う時の符合!!
中国の天津外国語大学から先生への名誉教授の授与式が16日の午後!!
まさに私が北京の万里の長城を観光しているその日その時!!

気温29度。晴天に恵まれた北京。
私が万里の長城に着いて車を出た瞬間、ボーン!という爆音とともに、飛行機がロケットのように、垂直に上がっていき、そして頭上高く舞い上がっていきました。軍事的な意味もあるとは思いましたが、私はこれも諸天の歓迎と、自分勝手に捉えていました。
その時の写真も添付します。

「午前八時の太陽」ーー高校の卒業生代表として答辞を行った時、この青年の譜を冒頭に掲げたことを思い出しました。
……今言うと本当は恥ずかしい限りですが、生徒会長をやっていたんです…(;_;)

「午前八時の太陽」は私にとっては先生からの最大の励ましと捉えました。
「我が日天よ、上海事務所に100人力の人材を集め給え!」
と毎日祈っています。

北京に向かう上海の空港で待っている時、テレビで山口代表を大きく、安部総理と比較しながら、集団的自衛権の見解を報道していました。
中国は完全に創価の味方のようです。

「日本が嫌いという中国人には会ったことがない。日本は報道が過剰。中国の悪いことだけをしつこく報道する…」とは15日のセミナーでの講師の弁。


中国・天津外国語大学 名誉教授称号授与式
2014年5月16日

名誉会長の謝辞

『午前8時の太陽』の生命力で
友情と信頼の道を限りなく

本日は、世界市民の英知の港と輝きわたる、貴・天津外国語大学より、深き意義が込められた「名誉教授」の称号を賜り、これに勝る光栄はございません。

ここ天津は、私たちの敬愛してやまぬ周恩来総理が「私の第2の故郷」とこよなく愛された地であります。
そし、その周総理が直々に提唱なされて、1964年、先駆の外国語学校として創立されたのが、貴大学であります。
以来50年、「中外求策 徳業竟進」(ちゅうがいきゅうさく とくぎょうきょうしん)との校訓の通り、古今内外の真理と文明の精髄を探究し、人格と学問を兼ね備えて世界平和に貢献しゆく人材群を、まさに“桃李門(とうりもん)に満つる”広がりをもって薫陶してこられました。

今、私の胸には貴大学の壮大な志の校歌が高鳴っております。
「交際 文化を跨(また)ぎて 外語 紐帯(ちゅうたい)を結びたり 学子(がくし) 天空を愽(う)ちて 放飛(ほうひ)し英才と成れり」
ここには、、未来へ、世界へ、「平和」を創造しゆくビジョンが、なんと明確に、なんと勇壮に、謳い上げられていることでしょうか。

思えば40年前、周恩来総理は、30歳若い私の目を真っ直ぐに見つめられながら、語ってくださいました。
「中日友好が今日まで発展できたのは、私たち双方の努力の成果であり、そして、私たちは、その努力をこれからも続けていくよう希望します」

さらにまた、「全世界の人々が、お互いに平等な立場で助け合い、努力することが必要です」と。

会見の最後に、周総理は、美しい日本語で「さようなら!」と見送ってくださいました。
何とも言えない温かな慈愛に満ちた響きの一言でした。
一期一会となった、この平和への語らいを、両国の青年たちに、さらには世界の若き世代にも託していきたいーーそのための友情と信頼の道を限りなく開いていくことを、私は決意いたしました。
私は行動が信条です。
周総理とお会いした翌年には、国交正常化後で初となる国費留学生を、わが創価大学にお迎えしました。
その先駆の英才方と共に総理を偲んで、キャンパスに植樹した「周桜」、また総理と一体不ニであられた登穎超先生とのご夫妻の絆をとどめた「周夫婦(めおと)桜は、仰ぎ見る大樹と育ち、今春も、爛漫と咲き誇りました」

時代の混迷の闇が深ければ深いほど、青年の向学の英知が光ります。不屈の情熱が光ります。快活の連帯が光るのであります。

天空に雲ありて
風吹けど
太陽は 今日も昇る
午前八時の青年の太陽(かれ)は
無限の迫力を秘めて
滲透(しんとう)しつつ 正確に進む
己れの厳しき軌道を はずさずに
天座のかなた 蒼穹(そうきゅう)狭しと
王者赫々(かくかく)と
太陽(かれ)は ただ黙然(もくねん)と進む

午前八時の
青年の太陽(かれ)は 今日も昇りゆく!
青年の鼓動にあわせて昇りゆく!

【聖教5/18】


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