【解説】
「方円八百余里、中に苑子城(えんしじょう)、蓼児哇(りょうじわ)などを擁する天下の要害」…しかし今では山も川も湖もない、のっぺらぼうな平野の中に、ポツンとその名をとどめているだけなのです。地上の痕跡はことごとく幾百千たびの黄河の洪水に洗い流されてしまって、わたしたちはただ小説「水滸伝」の中に、むかしのつわものどもの夢の跡をたどることができだけであります。
南宋のころ、中国は北方の異民族のために国土の大半をうばわれ、…政治は腐敗し、四方に賊が起って、人民の生活は苦しかった。そういう人民にとって、あまり遠くない過去に、宋江のような豪傑がいて、悪い役人どもをやっつけた上に、弱い人民のために、「天に替って道を行い」、はては四方の賊を平げ、外国まで攻めて行ったなどと空想することは、それだけでもせめてもの慰めであり、うれしいことであったにちがいありません。そうした心理が、だんだんと史実にうそまこと尾ひれをつけて、「水滸」の話をそだて上げる醗酵素となったのだと思われます。
今日でも「水滸伝」はわたしたちの中に生きています。たとえばわたしたちの読む講談本の真田幸村、三好清海入道、猿飛佐助、岩見重太郎、あるいは国定忠治、清水次郎長などは、梁山泊の豪傑がたくみに姿をかえてわが国に生まれかわって来たものといえるのです。