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小説人間革命第一巻

2014年02月24日 (月) 00:48
小説人間革命第一巻

◎黎明
戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。
だが、その戦争はまだ、つづいていた。
愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、まことに哀れである。

軍部政府は、いかにも愚劣で、狂信的で、わが同胞に対してすら暴力的で、不条理であった。そのような狂信をもたらしたものの根源が、軍部政府の精神的支柱であった「国家神道」であった。

“宗教”への無知は、国をも亡ぼしてしまった。「神は非礼を稟(う)けたまわず」(注)と、大聖人は仰せである。正法を尊ばずして、諸天善神の加護はない。しかし軍部政府は、正法を護持する牧口会長を、獄において死にいたらしめたのである。

(注)妙法に対する信、尊敬が根底になければ、神本来の力が発揮されないということ。

よき種は、よき苗となり、よき花が咲こう。よき少年は、よき青年となる。よき青年は、よき社会の指導者となろうーーこれが、彼の心情であった。

「…お父さんとはまだまだあえませぬが、二人で約束したい、朝何時でも君の都合のよい時、御本尊様にむかって題目を百ペン唱える。その時お父さんも同時刻に百ペン唱えます」

“闇が深ければ深いほど、暁は近いはずだ”

◎再建
戸田は、つぶやくように言った。
「二百五十万円余りの借金か」
巡査の初任給が六十円といわれていた時代の、二百五十万円である。膨大な額の借財である。
※20万円/60円(3333)×250万円=100億円!!!

「ここ、火災保険証書が、これだけありますが、関東大震災の時のように、何割かは支払いがあるでしょう。…」

これを担保として、一万円の借用を頼んだのである。
「あ、いいとも」
小沢は、軽く承諾した。

「こりゃいかん」
「すまんが、半分じゃいけないか」

「結構だ。後は、なんとか工夫しよう」

◎終戦前後
戸田は…一国の指導者層は、一切の感情のわだかまり捨て、その辺境な、高慢な態度を正すべきであると叫びたかった。

“眼前の一人ひとりを、完全に救いきっていくことだ。たとえ時間が長くかかっても、体当たりして、救っていくことだ。これこそ、「未来も又しかるべし」御金言の実践である”

万端整って、事務所が活動し始めたのは、八月二十日であった。終戦の五日後である。出獄の日から、実に四十九日目のことであった。

「君たち、今日のことをどう思う。法華経のために牢屋にぶち込まれて、まる二年間、死ぬ苦しみで戦った功徳なんだよ」

◎占領
当時の日本の将軍たちと、欧米の将軍たちとは、残念ながら、およそ思考の次元が、はるかに違っていたようである。
前者は、愛国心の隠れ簑(みの)の中で、コチコチに軍国主義思想に凝り固まっていた。
後者は、今世紀の二回にわたる大戦で、近代戦争が、勝者も敗者にも、ともに大きな悲惨と悲哀をもたらすことを、何よりも身に染みて知っていた。

マッカーサ
「私たちにはいま、新しい時代が訪れている」
「私たちが肉体を救おう思うなら、まず精神から始めねばならないのだ」

有る経の中に仏・此の世界と他方の世界との梵釈・日月・四天・竜神等を集めて我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王・悪鬼神等が人王・人民等の身に入りて悩乱せんを見乍ら聞き乍ら治罰せずして須臾もすごすならば必ず梵釈等の使をして四天王に仰せつけて治罰を加うべし、若し氏神・治罰を加えずば梵釈・四天等も守護神に治罰を加うべし梵釈又かくのごとし、梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし

「梵天君、なかなかやるじゃないか」

……差し当たってのことですか。
ーーまったく、どうにもならんが、梵天君が、応急措置くらいはできそうですよ。だって、それが彼の役目というものです……

だが、人間の心も、修羅や畜生の生命に、占領されきっている場合がある。社会や国家が、悪魔の思想に占拠されている場合もある。その方が、より悲劇的なことだ。

「大悪をこれば大善きたる」

◎一人立つ
アメリカ占領軍は、当面の占領政策を実施したが、日本民衆からの抵抗は、全く起きなかった。

“これは、いったいどうしたことなのか”

もはや武力抵抗はないーー。

「…いいじゃないか。どんな人間だって、結局は御本尊様によって救われる時が来るんだ。背こうが、従おうが、どうしようもない。最後は、みんな救われていくんだ。…人が人を責めることなんか、知れたものだ。御本尊様に裁かれることほど、この世で恐ろしいことはない」

彼は、酔いがさめた。そして、ポツンとつぶやくように言った。
「同じ轍を踏むことは、ぼくは絶対にいやだ。断じていやだ」

“あの四人の連中と、なんと隔たりができてしまったことか…”

語るに足りぬ友であることを、知ったのである。

恩師は逝きて 薬王の

まずしく残るは 只一つ

吹くや嵐の 時なるか

如意の宝珠を 我もてり
これで皆んなを 救おうと
俺の心が 叫んだら
恩師はニッコと 微笑んだ

『学会が発迹顕本する』とは、いったいどういうことか見当もつかず…

請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ

我いま仏の 旨をうけ

誰をか頼りに 闘わん

捨つる命は 惜しまねど


獅子は伴侶を求めずーー伴侶を心待ちにした時、百獣の王、獅子は失格する。

シラーは言った
“一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり”

◎千里の道
わが国は、「豊葦原の瑞穂の国」といわれてきた。

法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり

王法の曲るは小波・小風のごとし・大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるる事疑いなし

妙とは法性なり法とは無明なり無明法性一体なるを妙法と云うなり蓮華とは因果の二法なり是又因果一体なり経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり、釈に云く声仏事を為す之を名けて経と為すと、或は三世常恒なるを経と云うなり、法界は妙法なり法界は蓮華なり法界は経なり蓮華とは八葉九尊の仏体なり能く能く之を思う可し

問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり、問う若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云わる可きか、答う勿論なり

◎胎動
「さあ、なんと言ったらいいか……。八万法蔵といっても、わが身のことだ。難に遭って、牢屋で真剣に唱題していたら、思い出してきたらしい。それ以前は、金儲けに忙しく、思い出す暇がなかったわけだろう」
「思い出した?」

◎歯車
「この信心に、絶対、嘘はない。必ず幸福になれる。確信をもって申し上げる。もし、嘘であったら、おやめなさい」


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