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太陽と風

2014年02月11日 (火) 23:53
太陽と風

ええ、大切なのは、人々の考え方とアプローチの奥底に平和のメッセージを浸み込ませることです。平和の力が暴力の力を遥かに上回ることを言いたかったので、太陽と風の間に行われた議論について話したのです。太陽が「俺はお前より強い」と言ったのに対し、風が「俺の方が強い」と言い、毛布をかぶっていた旅人を使って力比べをすることにしました。
…風は…強く吹けば吹くほど、旅人は毛布をきつく体のまわりに巻こうとしたのです。…太陽が照らし始めました。最初はゆるい日差し。それから段々強くしていきました。…旅人はとうとう毛布を脱ぎ捨てました。つまり、優しい方法で旅人に毛布を脱がせることが、可能だったのです。これは、最も頑固な人でも、最も暴力手段にコミットしている人でも、平和を通じてその考え方を変えることができるという寓話なのです。そして、それこそ私たちが従うべきやり方なのです。

第10章 駆け引き
大いなる目的を達成するというのは、最終目標に到達することだけを意味するものではありません。自分の生涯において期待していたものに叶ったという、成功の喜びでもあるのです。

私たちが心に抱いている理想、最も愛おしい夢、熱烈な望みは、生きているうちには実現しないかもしれません。しかし、それは肝心なことではないのです。できるうちに自分の義務を果たし、同胞の期待に添ったと自覚できること自体が、貴重な経験であり、素晴らしい業績なのです。

あなたにはこの刑務所の門を開き、私を自由人として出獄させることはできません。私が強要されている状況を改善することもできません。しかし、あなたの訪問のおかげで、過去22年間私を取り巻いてきた、ありとあらゆる不快さが我慢しやすくなったことは確かです。

世界中の人々は私たちを決して忘れないとしること。それ以上に心強いものは、妻と家族の愛情以外にほとんどない。…私たちの強さをくじきたくてたまらないのだ。だが、敵はその機会を永久に逃してしまった。

我が国をズタズタに引き裂き、非常に危険な情熱を生み出している悲劇的な紛争を、傍観者としてただ見ているのはとても心が痛みます。…しかし、世界平和のために一生懸命、勇気を持って尽くしている国際組織、政府、国家元首、影響力のある団体、それに個人が存在しているおかげで、現実的な望みがあります。

昔は読書を楽しみました。
…[『戦争と平和』で]クトウーゾフがモスクワを守るべきかどうか議論する場面は、素晴らしかったですね。
…「建物は心配していない。そんなものは、感傷に過ぎない。私は私の軍隊を破滅から救うことを気遣っている」
[ズールー王]シャカも同じ態度を取ったのですよ。
…「なぜ、建物を守る必要があるのだ。建物は今日破壊されても、明日建てることができる。しかし、軍隊はひとたび破壊されたら、作り上げるのに何年もかかる」

私は人間のよいところを見すぎていると人は言います。…他人は道義を重んじる高潔な人間であると想定し、それに従って行動するのはよいことです。一緒に働く人間をそのようにみなせば、高潔や道義は向こうからやってくるものです。そういう基本的な想定をすること、つまり相手が高潔な人間であると想定することにより、人間関係が大きく発展します。私はそう信じています。

第11章 カレンダー日記
刑務所の外の世界ではごく当たり前な、基本的なものが、刑務所では貴重な贅沢品であることをわすれてはならない。例えば、お茶に入れるミルクが手に入るのは大事件なのである。面会や手紙もまた然り。そして、「手入れ」というたったひとつの言葉が意味するものは、字面よりずっと忌まわしい。

1976年
8月18日
ザミが逮捕されたとの情報を得る。

1977年
1月17日
他人の陰口を叩くのは明らかに悪徳であるが、自分自身を悪くいうのは美徳である。

1979年
6月1日
「希望を持つことはたやすい。希望がないことがダメにする」

6月2日
病んだ国において、病気を食いものにする人たちは、健康へ一歩一歩近づくことを侮蔑と感じる。
自由であることの目的は、他人を自由にすることにある。

1980年
10月11日
囚人の日
…1976年に国連総会が正式決定した、南アフリカの政治囚と連帯する日。

1984年
3月15日
マデイバのレコード、売上好調。NMの釈放を求めるレコード、発売1週間にしてポップチャートで上昇中。『フリー・ネルソン・マンデラ』『ドアを取り壊せ』

6月18日
キューバのカストロ大頭領、キューバでも最高レベルの勲章をNMに授与。

1986年
6月16日
ザミが弁護士になる夢を見る。マンデラとタンボを被告とする裁判に出廷するが、被告欠席のため敗訴。NKが出廷し、判決の取り消しを求め、ザミを法廷に呼ぶ。

1990年
1月13日、刑務所内で書いた最後の日記
…突然、鴨たちは何度もギャーギャー鳴き、列を作って出て行った。私はほっとした。鴨は私の孫たちよりずっと行儀がよい。孫たちが帰った後はいつも、家中がひっくり返されたような有り様だから。


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