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ロベン島

2014年02月11日 (火) 23:47
ロベン島

3叙事詩
ロベン島での最初の数年、状況は過酷であった。…取るに足らないことを重要視することにかけて、当局は容赦しなかった。…監視はプライバシーを侵害するものだった。

第7章 満たされない男
ザミと私はその夜、あなたとパーティーで出会ったのですが、あなたはすぐにいなくなってしまいましたね。その数日後、ザミと子どもたちに別れを告げました。今では私は、波の遥か彼方の住民になっていました。私がいないことで家族が経験する苦労や悲嘆や屈辱がわかっていましたから、決心するのは簡単ではありませんでした。

第8章 幕間
最後に母に会ったのは、昨年の9月9日のことでした。面会の後、本土に向かう船の方へ歩いていく母が見えました。そのときどういうわけか、もう母に二度と会うことはないという思いが胸をよぎったのです。

母を自分の手で埋葬できないことになろうとは、思ってもみませんでした。

大事なお母さんがまた逮捕されてしまいましたね。…一体どのくらいの期間になるかわかりません。お母さんが勇敢で決然としていて、心から人々を愛していることをいつも覚えておいてください。人々と国を深く愛する心から、お母さんは楽しみや快適さをあきらめて、困難で悲惨な道を選んだのです。大人になってから、お母さんが経験した不愉快な出来事や、信念を貫き通したお母さんの頑固さをよく思い起こしてみてください。真実と正義の闘いにお母さんがどれほど大きな貢献をしたか、自分の個人的な利益や幸せをどれほど犠牲にしたかがわかってくるでしょう。

奥さんは刑務所の外で生活している。他の男に出会う。こういう思いにどうやって対処したのですか。…奥さんに好きな男ができて、一時的にせよ、あなたの代わりを努める。こういう思いにどうやって対処したのですか。
…そんな疑惑は頭の中から消し去らなければなりません。…つまり、そういったことは私にとって重要ではないということです。また、それとは別に、人間としての問題があることを受け入れなければなりません。人間にはくつろぎたいときがあるものだという現実です。それを詮索すべきではありません。私に忠実であり、私を支えてくれ、会いにきてくれ、手紙を書いてくれる女性であるというだけで充分なのです。それで充分なのです。

ザミに永久に会うことなく、またザミや子どもたちから便りがないままで、暮らしていくのが非常に難しいと感じられるときがあります。しかし、人間の魂と人間の体は適応に関して無限の能力を持っています。…時間と希望がこれほど意味を持つようになるとは、思ってもみませんでした。

他に何も残っていないとき、希望は強力な武器となります。
最も厳しい状況にあるとき、私を支えてくれたのは、自分はこれまでに多くの困難に打ち勝ってきた、筋金入りの家族の一員だという自覚です。

服役中を通して、私の心はこの場から遥か遠い、草原や茂みの中にあります。

ダギー、率直に言って、この強固な壁の後ろに閉じ込めることができるのは、私の肉体だけなのです。
私は依然としてコスモポリタン的な考えを持っています。心の中では、ハヤブサのように自由なのです。
私のあらゆる夢の錨となっているものは、人類全体に共通する英知です。私は今まで以上に、人間の幸せのもととなるのは社会的平等だけだと確信しています。

しかし、平均的な南ア看守の非人間性は依然としてそのままです。

民衆が私たちのことを忘れてしまうと考えるのは、無駄であるばかりか、この国の歴史的経験に反しています。

この国の人々にとって、私たちは国を取り戻そうと闘ったがために迫害されている国民的英雄です。私たちが生きているうちに、そして自由な南アを求める闘いの真っ最中に、同胞が私たちを忘れると思うのはまったく非現実的です。

しかし、貴殿と私の対立が極限の形を取ったときですら、個人的な憎しみを持つことなく、主義や見解を巡って闘いたいと思うのです。そうすれば、闘いが終わったとき、その結果がどのようであろうとも、名誉と品位に関する規範を遵守した、高潔で、相手として不足のない敵と闘ったと感じ、誇りを持って貴殿と握手することができるからです。

第9章 満たされた男
ところで、独房は自分を知るのに理想的な場所だと気がつくかもしれませんよ。個人としての進歩を判断するのに、私たちは社会的地位、影響力、人気、富、教育水準などの外的要因に囚われる傾向があります。…しかし、人間としての進歩を評価するには、内的要因の方が重要かもしれません。

独房は少なくとも、毎日の自分の行いを総じて反省し、短所を克服し、長所を伸ばす機会を与えてくれます。例えば就寝前の15分、規則的な瞑想をすれば、とても効果的ですよ。自分の欠点を特定するのは、最初は難しいかもしれません。でも、10回くらい試せば、とてもうまくいくようになるでしょう。聖人とは絶え間なく努力する罪人なのだということを、決して忘れないように。

70年代の初め、ザミにある手紙を書きました。自分では、最愛の妻を敬慕し崇拝する男からのロマンチックな手紙のつもりでした。その手紙の中で、ゼニとジンジが美しく育ったこと、二人とお喋りするのが大変楽しいことに触れたのです。最愛の妻はカンカンでした。…「子どもたちを、育てたのはあなたではなく、この私。それなのに、あなたは私より子どもたちの方が好きなのね」。私はただただ唖然としてしまいました。

「あなたは自分の国の歴史を知りませんね。イギリス人に抑圧されたとき、あなたは私たちとまったく同じことをしました。それが歴史の教訓なのです」

そのとき、8500人が意図的に刑務所に入りました。私たちを辱め、離れ離れにし、ある種の特権を白人にだけ、与えることを意図した法律を破ったからです。
…人を説得する最善の方法は触れ合いだということを、年長者は知っています。…だから、議論を吹っ掛けるときは静かに、声を荒立てることなく行うと、彼らの威厳や高潔さを疑問視しているように見えないのです。心を和らげさせることにより、こちらの言い分を理解させるのです。腰を据えて話せば、いかに頑なな刑務所の看守でも、判で押したようにボロボロに崩れ落ちます。崩れてしまうのですよ。

私には彼を見抜くことができませんでした。愛と希望の輝きがその顔を覆っていました。しかし同時に、人類全体の愚行と苦悩に心を痛めている人間の表情をしていました。
…この男が無実であることを百も承知でも、死刑を宣告することが私の義務でした。

木が切り倒された ジンジ・マンデラ作

木が切り倒された
そして、果実が散らばった
私は泣いた
家族を失ったから
幹は父
枝は父の支え
果実はとても
父がとても大切に思う
妻と子どもたち
そうあるべきように
美味しく 愛らしい
ひとつ残らず地面に散らばっている
幸せの根は
父から切り離されてしまった

歪曲は多くの無実の人々を欺き導きました。…習慣をやめることはなかなかできないものです。習慣は紛れもない印を残します。私たちの骨に刻まれ、血の中に流れる目に見えない傷跡を残します。

人生には独自の安全装置と補償が組み込まれています。「聖人とは清廉であろうとする努力を怠らない罪人である」。
人生の4分の3を悪人として過ごしても、残りの4分の1で敬虔な生活を送れば、聖人の列に加わることができるかもしれないのです。現実の生活で私たちが相手にするのは神ではなく、私たちと同じ普通の人間です。しっかりしていながら移り気で、強くもあり弱くもあり、有名だったり悪名高かったりする、矛盾に満ちた男女です。その血流の中で、ウジ虫が強力な殺虫剤と日々戦っている人間なのです。

しかし、些細なことに注意をはらい、ちょっとした行為を有り難く思うのは、立派な人間の大切な特徴のひとつなのです。

また政治家というものは、まず何よりも、敵に対して攻撃的になるものなので、ANCについて間違った概念を持っていた人々がいました。…ただ、人間というものは他人を啓発し、自分の見方に転向させたいものです。…攻撃的になることによって、目的を達成することはできません。攻撃的になると、人は逃げてしまいます。そして、反撃してきます。ところが、ソフトなアプローチをすると、とくに主張に自信があるときは、攻撃的になるよりずっと多くの成果があがるのです。


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