百済(くだら / ひゃくさい)は、古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余=徐族[1]による国家(346年[2] - 660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて百済の存在した時代を朝鮮半島における、三国時代という。新羅を支援した唐によって滅ぼされ、故地は最終的に新羅に組み入れられた。
歴史
百済は4世紀中頃に国際舞台に登場する(『晋書』「慕容載記」)。それ以前の歴史は同時代資料では明らかでない。
建国時期が書かれている『三国史記』(1143年執筆)では紀元前18年建国になっており、韓国・北朝鮮の国定教科書ではこれを引用している。歴史的な建国時期に関しては、三国史記の記述自体に対する疑いもあるため、韓国でも紀元前1世紀説から紀元後3世紀説まで様々な説がある。またその当時に書かれた中国・倭等の文献と後年になって書かれた三国史記の内容には隔たりがある。
通説では『三国志』に見える馬韓諸国のなかの伯済国