伊丹城(いたみじょう)は、有岡城(ありおかじょう)ともいう兵庫県伊丹市にある城。国の史跡に指定されている。
南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築され、文明4年(1472年)には改築され、それまでの伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城となった。
しかし、天正2年11月5日(1574年11月18日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。
大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構が発掘された。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。
有岡城の戦い(ありおかじょうのたたかい)は、天正6年(1578年)7月から翌天正7年(1579年)10月19日にかけて行われた籠城戦。織田信長に帰属していた荒木村重が突然謀反を起こしたことに端を発する。「伊丹城の戦い」とも呼ばれている。
天正6年(1578年)7月、三木合戦に参戦し、羽柴秀吉軍に属していた荒木村重は、突然戦線を離脱し居城であった有岡城(伊丹城)に帰城してしまった。織田信長に謀反を起こしたのである。