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前漢

2014年01月13日 (月) 18:01
前漢

◎平国侯の逐電
弁士侯公(こうこう)という背のひょろ高い男は、依然として劉邦のもとに身をよせている。
身分は、客であった。
顧問ということであろうか。

主人は客に対し、謙譲と手厚い礼儀をもって遇さねばならない。
「先生」
とよぶ。あるいは、生とよぶ。かれらが、自家の老従(ろうじゅう)でもないのに自分のために得がたい才智を提供してくれるからである。もし主人の言葉づかいがわるく、自分を低くみたということがあれば、さっさと立ち去ってしまう。その点、客たちは忠誠心というものに拘束されていなかった。
ついでながら、この慣習はごく、近年まで残った。
ふつう主人は客に対し、へりくだってあいさつをする。
ーーあの秦が、なぜあれほどみじかい期間でほろびましたか、それは刑法一点ばりで天下を治めようとし、……もしあの強秦が、刑法万能主義を取らず、先聖の道をもって天下を治めておりましたならば、……
ーーそれはそうだ。

陸賈(りくか)
「侯公先生は、戦国の孟嘗君(もうしょうくん)、平原君(へいげんくん)、春申君(しゅんしんくん)などのまわりにいた客を理想としていまの客を律しようとしている」
つまりはドン・キホーテだ、と後世の西洋でならいわれるところであったが、しかしこの大陸での文明は古(いにしえ)の価値をもとめ、古伝承のなかに倫理的人間の典型をもとめる力学があったために、陸賈のこのことばは侯公をほめているのである。

(とても項羽にはかなわない)
「劉邦の臆病者」
ーー戦えばかならず負ける。

この大陸の倫理習慣では孝が何にもまして絶対的価値をもっている。

この情勢下で、劉邦は負傷した。
ーー漢王が殺された。
(ああ、漢もしまいか)
(生きていたのか)
(もう、どうなってもいい)
(わしには、むりだった)
天下を望むような器量でないことは、自分がいちばん知っている。……天が人をとりちがえたのだ。
ーーたれか、自分に変わる者がいないか。
夜、劉邦は簫何と二人きりで酒を飲んだ。簫何には安心して泣きごとをいうことができた。
「いっそ、お前さんと代わってもらい、わしは、沛のあたりで隠棲(いんせい)したい」
「陛下、天命をおわすれ遊ばしましたか」

「その論法でいえば、劉邦の申し出を断ればわしは悪逆の王になる」

侯公は、出発した。
(変なやつがきた)
(こいつは、まったく違った男だ)
「陛下、楚城にてゆっくり致しとうがざいます」
一つの意味は会談(はなし)をいそがずにやろう、…いま一つの意味は、俺という人間をゆっくり見てくれ、それから話しあおうではないか
「人間、長生きをせねばなりません」
「衰(すい)ヲ助(さき)へ、老ヲ養フ」
「なんともはや」
(憎めぬやつだ)
「漢王の言い分をきこう」
……
「漢王はどう言っておるか」
「漢王のことなど、小そうござる」
「漢王など、どうなってもいいのです」

「この侯公は、いわば天と地と人の代理人です。漢王に対し、忠でも不忠でもないということがおわかり頂けるでしょうか」
「わかるような気がする」
項羽は、おもしろがって手をたたいたりした。

「いっそ、わしに支えぬか」
「陛下に?」
「私は漢王にも支えておりませぬのに」
「だからわしに支えよというのだ」
「いやはや」

「いったい、何が愉(たの)しみで生きているのだ」
「項王を仕合わせにしてさしあげるのが愉しみでございます」
「言うわ」
項羽は侯公の肩をたたいて笑った。

劉邦のよろこびは、…一躍、侯公に、
「平国侯」
という尊称をさずけた。
ちょっと信じがたいことだが、侯公は…ほんの数日して山上から居なくなった。…逐電したのである。


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