黄河(こうが)とは、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。
「項羽と劉邦」(下)3
◎弁士往来
秦末、彭城(ほうじょう)(今の徐州)の町のことである。
この時代、この町は黄河の本流に面していた。黄河へ流れこむ幾筋かの細流が域内で堅牢に護岸されている。路(みち)に柳が植えられ、両岸に商舗がならび、水面には物産をのせた小舟が、たえず往来していた。
「これに満たしてくれ」
無名の時代のカイ通(トウ)である。
「これに満たしてくれ」
侯公(コウコウ)
それぞれ流転し、やがて侯公は劉邦の陣営に入り、カイ通は韓信の謀臣になった。
しかし乱を撥(おさ)めて正しきに反(もど)すのは古来武によるしかありませぬ。文によってその地域で一時の和を結んだところで後日かならずそむき、乱の種子(たね)を残すことになりますよ。
「車の横木に寄りかかった一介の儒生の舌に武が及ばぬ」
(漢王は、ひそかに根をお持ちになるのではないか)
「小事でござる」
武人として、傑出しすぎていながら他の面で欠けた人物が、古来数多く終わりを全うしなかったことを思うと、韓信のためにいよいよ不安になるのである。
「あなたの生きる道は、一つしかない。漢に反(そむ)いて楚と提携し、天下を三分してその一を得ることである」
「おうけできなくて残念なことである」
「なぜだ」
「私は、項羽が嫌いなのだ」
「きらいとは、これは婦女子のような言葉を」
「なぜお嫌いなのです」
「私を用いなかったからです」
「では、漢王については、如何(いかん)」
「好きです」
「理由は?」
「私を用いてくれたからです」
「士というもには、そういうものだ」
韓信は、しずかにいった。
「漢王は私に上将軍の印綬(いんじゅ)をさずけ、みずからの軍を割(さ)いて幾万という兵をあたえてくれた。それだけではない。ときに自分が着ている衣をぬいで私に着せ、ときに自分が食べている食物を押して私に食べさせた。さらにわが進言を聴き容(い)れ、わが計画を用いてくれた。それがなければいまの斉(せい)の地に韓信という人間が存在していない。あなたは項王の使いとして千里の道をきた。以前の韓信に会うためでなく、現在の韓信に会うためだが、その韓信ができあがったのは項王によるものかどうか」
「いま伺ったことは、水に流してもらって」
「流せないのだ。忘れることができても、流すことはできない。過去というものが積みかさなってこんにちの韓信というものがある。流せということは韓信そのものを流せということだ」
「そこを」
「なんとかなりませぬか。旧知の武渉がこのようにしてあなたを拝んでいる。そこのところを、なんとか考え直して……」
「私は死んでも漢王に対する節操は変えない」
「項王によろしくお伝えねがいたい」
「……それは」
「漢王に謀叛(むほん)せよということだな」
「こういう俚諺(りげん)があるのをご存じか」
食人之食者死人之事
(人ノ食ヲ食セシ者ハ人ノ事ニ死ス)
カイ通は声をはげまし、
「義も侠も忠も信も、いまの君(あなた)にとっては身をほろぼすもとだ」
「なにをいわれる」
勇略主ヲ震(ふる)ハス者ハ身危(あやう)ク、功天下ヲ蓋(おお)フ者ハ賞セラレズ。
カイ通
「君よ。あなたは漢王に対して忠(まじめ)であり、信(まこと)であろうとする。しかし張耳(ちょうじ)・陳余(ちんよ)の例をおもいだしてください。あのふたりは不遇時代に人もうらやむ仲で、たがいに刎頸(ふんけい)のちぎりを結んだものでしたが、それぞれが相(しょう)になり将(しょう)になってから反目し、張耳は漢王劉邦の武力をかりて陳余を攻め、これを殺し、足も手足もばらばらに斬りきざんだのです。乱世における忠義がいかにはかないものであるか」
カイ通
「この舌の動くところを聴け」
「……かつて天下を望んだ諸豪のすべてを反逆の罪によってこの釜にほうむりこもうとされるか」
「せぬ」
「おまえは何人の兵をもっていたか」
「舌がある」
「まだ喋ることがあるか」
「煮られるまで喋るだろう。陛下は盗跖(とうせき)をご存じか」
「おまえは、盗跖の犬か」
「小僧の犬だ」
カイ通がいったとき、劉邦は一笑して刑吏にカイ通の枷をはずさせ、郷里まで帰る旅費もくれてやるように命じた。
カイ通は、庁舎を出た。門前に喃(なん)が待っていた。
「死んだほうがましだった」