海賊とよばれた男
第二章 青春(明治18年〜昭和20年)
一、石油との出会い
鐡造は明治十八年(一八八五)、福岡県宗像郡赤間村で生まれた。
維新の騒乱も収まり、…「西南の役」は八年前…初代総理大臣に伊藤博文が就任した。
「大日本帝国憲法」が発布されるのは四年後の明治二十二年である。
「黄金の奴隷たる勿れ」
「商人とはいかにあるべきか」
内池教授「今後は生産者と消費者を結びつける役割を持つ商人の存在がいっそう大きくなる」
「草生津」(くそうず)は石油の和名である。
ペリーが来航して通商条約を要求したのも、捕鯨船の補給基地が欲しかったからだ。
二、日田重太郎(ひだじゅうたろう)
ひとりだけ彼の中に眠る何かに気づいていた男がいた。
「商人になりたいです」
「中間搾取のない商いをしたいと思っています」
「でも、もしかしたら、誰もやらなかっただけかもしれません。いずれは大地域小売業の時代が来るような気がするんです」
「アホ。金を払うもんが偉いんか。今度、国岡に会(お)うたら、お前が謝れ」
「国岡、悪いことは言わん。酒井商会を蹴って、俺と一緒に鈴木商店に入ろう」
「大丈夫だ。後悔はしない」
「神戸高商まで出て、従業員三人のお店で働くんか」
三、丁稚(でっち)
「知りませんでした」
「国岡も今日は遅くまで働いたな。饅頭でも喰うか」
「邪魔する気はない」「自分の商売をするだけだ」
だが相手は日本を代表する商社だ。まともに勝負して勝てるわけがない。それには輸送費しかない。
最初はどこの製麺所の担当も、ろくに話も聞いてくれなかったが、鐡造が価格を示すととたんに態度を変えた。
低価格の小麦粉の威力は大きかった。
「商売をかきまわすのはやめてもらいたいな」
「生産者と消費者がともに得をするのが正しい商いと信じています。どちらかだけが得をする商売は間違っています」
四、生家の没落
「おっかさん」
「鐡造ね」
「夜逃げしちいうとはほんなこつね」
「ただし、条件が三つある」
「家族で仲良く暮らすこと。そして自分の初志を貫くこと」
その後で、日田はにっこりと笑って付け加えた。
「ほんで、このことは誰にも言わんこと」
鐡造の全身は震えた。
五、士魂商才
酒井商会を辞め独立する旨を報告に言ったときに、水島(神戸高商校長)は鐡造に「武士の心を持って、商いせよ」と言った。そして一枚の半紙に雄々しい文字で墨書した。
「士魂商才」
長く付き合いのある業者との情実や、仕入れ担当者が業者と癒着していたりして、新興店が割り込む余地はほとんどなかった。露骨に袖の下を要求する者もいたが、鐡造は断固断った。
「ときには、ある程度の袖の下は必要ではないか」
地縁がほとんどないこの地で、新興の販売店が他の老舗相手にやっていくには、普通の方法では駄目だと鐡造は考えた。
「鐡造、何ば考えよると」
「油のことたい。品質ばよくする方法はなかろうかち思うて──」
「わしは油のことはわからんばってん」と父は言った。「藍玉ば扱いよったときには、よう藍を混ぜよったもんね」
「藍ば混ぜる?」
「ああ、藍は栽培する農家によっても、取るる時期によっても、品質が変わるとさ。ばらつきもあって、濃かともあれば薄かともある。そげなとば混ぜると、ちょうどよか塩梅(あんばい)になる」
「それたい!」
六、海賊
「一緒に苦労ばしてくれんですか」
「はい」
「どないしたんや。顔色がようないで」
「今日はご相談があってやって参りました」
「そうか。ほんなら、外に出ようか」
「なあ、とことんやってみようや。わしも精一杯応援する。それでも、どうしてもあかなんだら──」
日田は優しい声で、しかし力強く言った。
「一緒に乞食をやろうや」
鐡造の目から涙がこぼれ落ち、止めようとしても止められなかった。
「日田さん──」
あとは言葉にならなかった。
涙を拭った鐡造は胸に勇気がふつふつと湧き起こってくるのをはっきりと感じた。死んだ気になってやってやるという闘志が出てきた。
「法律とは、人々の暮らしを良くするためではなかとですか。違いますか」
七、満州
「それでは、自分で考える力が付かんたい。自分で工夫して答えば見つけることが大切たい。…ぼくの指示ば、ただ待ってるだけの店員にはしとうなか…今の国岡商店は店舗ばひとつしか持ってらんばってん、いずれいろんなところに支店ば出していきたいち思うとる。彼らはその店主になるわけやけん、大事な商いばいちいち本店に伺いば立てて決めるごたる店主にはしとうなか。自分で正しか決断ができる一国一城の主にしたか」
八、スタンダードとの戦い
「これは好機です。高く売りましょう」
「馬鹿っ!」「国岡商店が軽油の備蓄を増やしたのは投機のためではない。消費者に安定供給するためではないか。二度と卑しいことを言うな!」
「もし焼けなかったら、国岡商店の満鉄への出入りはいっさい禁止するがいいか」
「かまいません」
「何ちゅうこつば言うてくれた」
「口論の勢いで、そげん言うてしもうた」
「お前は昔から頭に血が上ると、後先ば考えんで行動してしまおうが」
「お出で請う」
大正七年二月七日の深夜、長春(ちょうしゅん)のヤマトホテルの庭に二十人近い男たちが集まった。
「それでは、只今より、実験を開始します」
「机の上のコップに油を入れてください」
九、危険
四年にわたった欧州戦争により、イギリスをはじめとするヨーロッパの列強の国力は衰え、これらに代わってアメリカが世界第一の強国になった。
─石油が石炭に代わってもっとも重要な戦略物資となった。
「石油の一滴は血の一滴」
「でも、蒸気船の発明によって、輸送費が十分の一になったので、小麦が大量にヨーロッパに輸出できるようになりました。それでアメリカは耕作地を求めて西へ西へと開拓を始めたのです」
大正十二年九月一日、関東大震災。
「待ってください」「いきなり全額返済は無理です」
「国岡さんもここまで立派な店ば作ったとやから、こればつぶして店員ば泣かすごたるこつばせんほうがよかよ」
「あかん!」
「まあ、一服、茶を喫んでいけ」