海賊とよばれた男
序章
青い空がどこまでも続いていた。
「戦争は終わった」
ドイツの高級車、オペルの後部座席に揺られながら、ふと自らの生涯を想った。
「愚痴をやめよ」
「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」
「ただちに建設にかかれ」
「しかし──」
「その道は、死に勝る苦しみと覚悟せよ」
第一章 朱夏 昭和20年〜22年
一、馘首(かくしゅ)はならん!
「ならん、ひとりの馘首もならん」
「店員は家族と同然である。社歴の浅い深いは関係ない。君たちは家が苦しくなったら、幼い家族を切り捨てるのか」
「ぼくは店員たちとともに乞食(こじき)をする」
二、苦闘
日本は石油を確保するために、連合国のオランダ領であるボルネオとスマトラの油田を奪わなければならなくなった。つまり日本は石油のために大東亜戦争を始めた。
「百姓たけじゃない。漁師だってやる。なんだってやるんだ。君たちに命じる。ありとあらゆる仕事を探せ。選り好みするな。すべての仕事が国岡商店の建設のためになり、日本のためになると心得よ」
「金輪際、石統には頼まん。その代わり、石油は国岡商店が自力で取ってみせる」
三、ラジオ修理
「君が軍人上がりで商売の素人であるなら、これから玄人になればよかろう。誰もが最初は素人だ。それともアメリカとは戦えても、商売の戦いは怖いのか」
「よく耐えられましたね」
藤本は褒められても嬉しくはなかった。むしろ交渉の最初に、「元海軍大佐」と名乗ったことを恥じていた。昔の肩書きを言ったのは、どこかそれを誇る気持ちがあったからに違いない。
「いや、むしろあの男に感謝している。俺は今日から元海軍大佐という過去をいっさい忘れることにした。国岡商店の商人となって一から修行する」
「違う!」鐡造は一喝した。「君の真心がたりないからだ」
俺は必死でやっているつもりだったが、どこか他人事であったのかもしれない。
四、東雲忠司(しののめただし)
「富士が見えたぞ」
「国岡商店の店員として、誇りを持って働け。国岡商店のもとで培った力を、国家のために尽くせ」
鐡造は今や頬を伝う涙を拭おうともせずに言った。
「現地での資産はすべて失ったが、ぼくは君たちが務めを立派に果たしたことが何よりも嬉しい。国岡商店にとって、これほどの喜びはない。君たちはぼくの誇りだ」
東雲と小松ももはや流れる涙をこらえることができず、男泣きした。
五、GHQ
宇佐美幸吉(うさみこうきち)がラバウルから引き揚げてきたのは、二十一年の二月下旬だった。
「馬鹿もん!」「国岡商店は、お前が軍隊に行っている間、ずっとうちに給金を送り続けてくれたんだ。辞めるなら、その四年分の恩返しをしてから辞めろ!」
重森俊雄(しけもりとしお)に
「苦しいけれども頑張れ。いつか国岡商店に復帰できる日が来ることもある。国岡商店は君が戻ってくるのを待つ」
「進駐軍に殴られました」
犯人が米兵とわかると、日本の警察はほとんど捜査をしようとせず、被害者の多くが泣き寝入りになった。
「旧海軍のタンクの底にたまっている油を浚(さら)え」
「よそがやれないと尻ごみする仕事だからこそ、うちがやる」
「こんなことで恩を売る気もない。この事業を成功させることによって、GHQ から日本に石油が配給されることになれば、これほどすばらしいことはない。すなわちこの事業は日本のためにおこなうものである」
六、タンク底
重い鉄製の蓋を開けると、中から強烈な異臭が漂った。
「泥みたいな音だな」
「あのときの戦いに比べたら、タンクの底に潜ることなどなんでもありません」
「それに、こうして働けることは無上の喜びです」
鐡造は胸が熱くなって、思わず重森の体を抱きしめた。
「店主、服が汚れます」
「服など洗えば済む」
「みんな、国岡商店は必ず立ち直る。そして日本も必ず立ち直る」
七、公職追放
鐡造は突然大きな声で、「米国は正義の国と聞いていたが、それは偽りであったか」
「無実の者に罪をかぶせて、恥ずかしくないのか。君らは神を信じるというが、その神に恥じることはないのか」
国岡商店には創業以来、五つの社是があった。
「社員は家族」
「非上場」
「出勤簿は不要」
「定年制度は不要」
それに「労働組合は不要」
「店員たちはぼくの息子だ。息子に裏切られるような親なら、親たる資格はない」
「息子と思わばこそ、過酷な仕事をやらせることもできる」