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創始者は常に殉教者だ

2013年11月11日 (月) 23:45
創始者は常に殉教者だ

世界の良書…心に残る一句

8.永遠の都上中下全3巻
/ホール・ケイン

上:人間共和の旗を掲げて
中:壮大な革命劇とロマンス
下:鋼鉄よりも固き同志愛

序曲
「ああ、子供たちの泣き叫ぶ声、子供たちの泣き叫ぶ声が聞こえる!…悲しいかな、国家や政府、王家の人たちは気にもとめない。いや、耳さえ傾けようとしないのだ!」

第一章 神聖ローマ帝国
一八九九年の最後の月の最後の日であった。法王は新しい世紀を“特別聖年”と布告し、その大勅書(ブル)のなかで、自分に忠実な善男善女をローマに招いていた。

第二章 人間共和
「政府が…画策した…パン課税に対して…法王に…本来の義務に立ち返らせるべく…もはや自力で立ち上がらざるを得ない…市民を外出させないように…一ローフ以上のパンは買わせないことにしよう。子供たちにあたえる以外は…円形競技場(コロセウム)に集まろう。…パンと水を確保するために事後の対策を決定しよう」

第三章 ドンナ・ローマ
「キリストがそうでしたよ」とロッシィは答えた。「祖国や信仰のために殉じた者で、全体のために個人を犠牲にしなかった者はひとりもいません。男がいったん使命に生きる以上、血縁の者は甘んじてその犠牲にならなければなりません」

第四章 デイビッド・ロッシィ
「人間性の立場からです」
「そうじゃ、ありませんか」
「人間的な感情こそ、この世でいちばん気高く、いちばん神聖なものです。人間的な感情こそ、神という存在の唯一の証であり、また不滅なもの、善と悪という存在の唯一の証なのです」

第五章 総理大臣
「教会の精神と、教会の体制は別個のものである。教会の精神は民衆と共にあります。それは神聖なものであり、永久にほろびることはないでしょう。もし教会の体制が民衆の意志に反していれば、旋風にみまわれて一掃されるでしょう」

第六章 ローマのローマ人

きょうというこの日まで、人間性が神性になり得るものとはついぞ知りませんでした。それは、ほんとうに神聖なものですわ。

それは勝利の声──欺瞞に打ち勝った勝利、誘惑に打ち勝った勝利、嫉妬に打ち勝った勝利、なかでも自分に打ち勝った勝利の声だったのですわ。

「お前たちはおいらをぶちのめした。しかし、そんなことはいっこうに平気さ。おいらはロッシィを信ずる。最後までロッシィを支持する」と、ブルーノは言いたかったのです。

第七章 ローマ法王
「あの人物は法王ご自身の血族だと教えられたとしたら……」
法王の掌中でふるえていた十字架思わずこぼれ落ちた。法王は椅子から腰を浮かせた。「その場合……その場合とても……ただ……神のみ心が行われるだけであろう」、そういったきり、法王は絶句してしまった。

「さようなら、敬愛する兄弟よ」

「…汝、滅びる人間にすぎざりしことを忘れるなかれ!」

第八章 国王
「兄弟たちよ」、ロッシィはいった。「われわれは君主制の敵であって、国王個人の敵ではありません。法王制の敵であって、法王個人の敵ではありません」

第九章 民衆
今日まで、傲慢にもローマを自分のものだと主張してきた人びとはことごとく滅んでいます。──皇帝も法王も国王も。賭博師のように彼らはローマを手にいれましたが、また賭博師のようにローマを失ってしまいました。ローマはただ、真の主権者──民衆が──全世界の民衆が主権者として登場するのを待っていたにすぎません。

終曲 ─遠い先の後日譚─
創始者はつねに殉教者だ。

「だれの彫像かね?」
「おや、ご存じないんですかい、旦那。デイビッド・ロッシィの像でさあ。この建物に住んでいたひとですぜ。像は地下室で発見されたんでさあ」
老紳士は立ちあがって静かに立ち去ってゆく。だれも視線をやる者はいない。若い学生たちの楽しそうな笑い声だけが、街に出た老紳士のあとを追いかけてゆく。コロンナ広場に押しかけようとする大きな人波に、老紳士はあやうく押しつぶされそうになった。 おわり

解説
今日ではこの書中にほのめかされている事物も、多くは事実となっていて、それよりもはるかに痛烈なことが往々主張されている…


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