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名物母ちゃん〈信仰体験〉 祈りの詰まった笑顔
夫▼うちの母ちゃん、コロナ禍でずっと家におってから、まったく化粧もせんごとなったばい。ちょっと気が緩みすぎやん!
妻▼なんねー、今、韓流ドラマのいいとこばい! 今までは学会活動ばっかりで、こげん楽しいもんがあるやら知らんかったー。もう元の生活には戻れんばい。
夫▼えーっと、言いづらいんやけど、実は少しずつ従来の活動も再開しよるけん、そろそろ地区の会場になってるわが家も掃除せんといかんばい。
妻▼はー、そげんこと急に言われてからー。うれしいと悲しいが同時に押し寄せてきたー。ばってん、広宣流布は停滞したらいかんもんね!
ちゃめっ気たっぷりの掛け合いで会場を笑い声で満たす。アトラク歴は12年。ネタは「題目あげれば降ってくる」と。
そんな宗さんだが、昔は心の底から笑顔になれない自分がいた。
青春時代は、アマチュアのシンガー・ソングライターとしてバンド活動に明け暮れる日々。友達はたくさんいても、どこか空虚で、いつしか独り善がりの生き方が踏み固められていった。
転機は25歳の時。唯一、自分の心を分かってくれていた恋人と別れることに。悲しみのあまり姉に電話をかけると、「南無妙法蓮華経と唱えてみて」と、思わぬ返答。創価学会に入会していた姉の唐突な助言に、「絶対に嫌やけん」と即答した。
しかし、宗さんは失恋の苦痛に耐え切れず、こっそり題目を唱えてみることに。すると「頭痛薬が効くみたいにスーッと痛みが引いてった」。さらに聖教新聞を見て驚いた。弾けるような笑顔の写真の数々。「こんな笑顔に私もなりたい」。1987年(昭和62年)、学会に入会した。
自分のことしか考えなかった人生に「自他共に」という選択肢が増え、人に尽くす充実感の中で、「自分が人間らしくなっていく気がした」という。
「おまえは俺を見てない! 何も分かってくれてない!」
思春期のせいだと思い込んでいた息子の変化は、宗さんが理想とする息子像を、わが子へ押し付けてきたことへのはね返りだった。
自らの無神経さを恨んだところで後の祭り。どんな言葉も息子の心には届かず、やがて征史さんは不登校に。その後、自律神経失調症の診断を受けた。
いつしか、宗さんは腫れ物に触るように、ささいな息子の言動にもおびえるように。やり場のないいら立ちを夫にぶつけてしまい、夫の心をさらに追いつめるという悪循環。もう二度と家族は一つになれないと思った。
それでも、宗さんは学会活動に一歩飛び出すと、気丈に振る舞い、アトラクでは明るくおちゃらけて見せた。
会合後は、すぐに帰宅せず、しばらく車を走らせる。涙が枯れるまで泣き切り、家では笑顔の母でいることに努めた。
今にも決壊寸前の宗さんの心をすくい上げてくれたのは、池田先生の指導だった。
「妙法を唱えていて、かりに不幸に見えることがあっても、それは、最大に幸福になる意義をはらんでいるのだから。どんなことがあっても、信心だけは微動だにしてはならない」「一歩も引かないで、悩みを突き抜けて進むのだ。どんな状況であっても、必ず幸福になれる信心だ」
どんなに苦しくとも、母は学会活動から逃げなかった。一番つらい時に折伏も実らせた。「なんもかんも負けんかった」
折伏で生命が変わると、家族への感謝が込み上げ、その思いを言葉にするようになった。そんな宗さんの変化に呼応するかのように、夫や征史さんの病状は好転。穏やかな表情が戻り、家族の心が再び一つに重なっていった。
やがて学校にも通えるようになった征史さん。高校卒業の日、保護者が見守る教室で、母へ感謝の言葉を贈った。「いろんな困難があった時、励ましてくれてありがとうございました」。目に焼き付けたいはずの息子の晴れ姿が、涙でかすんで仕方なかった。
かつては、家庭と学会活動との温度差に耐えきれず、先輩に「笑う役を演じているだけの私です」と訴え、嗚咽したこともあった。それでも母は笑い続けた。どんな状況でも口角を上げ、同志の笑顔を引き出してきた。
笑顔でいることで、笑顔の未来を引き寄せた不屈の母ちゃん。そのほほ笑みには、強さと優しさと祈りがみっちり詰