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2020.11.02-2

2020年11月02日 (月) 00:20
2020.11.02

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池田大作先生は述べている。
「歴史を繙き、歴史に学んでこそ、人類の未来に平和があり、勝利があり、栄光の軌道が開けてくる」

〈マンデラ氏〉
新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではない。
愚弄されてもくじけない人に、栄誉は与えられる。

家族や同志は迫害され、母の病死、長男の事故死を塀の中で知った。嘆願した葬儀への参列も、かなうことはなかった。
 
 だが、言語に絶する地獄のような苦しみを味わっても、氏は希望を失わなかった。全ての人種が平等に暮らせる「虹の国」を築く――心には大いなる理想の炎が燃え続けていた。「自分の信念の正しさを信じ、信念のために闘いなさい」――母の励ましの手紙にも支えられた。
 
 獄中で氏はつづっている。
 
 「新しい世界を勝ち取るのは腕組みして傍観する者ではなく、闘技場に立ち、嵐に服をずたずたにされ、闘いの過程で重傷を負った者なのです」
 
 「愚弄されても、屈辱を受けても、敗北を喫してもくじけない人に、栄誉は与えられます」
 
 氏の静かなる闘争は、同胞を奮い立たせた。それはやがて国際社会をも動かし、アパルトヘイト撤廃への潮流は大きなうねりとなっていった。
 
 そして1990年2月11日。ついに釈放の日がやって来た。
 
 奇しくもその日は、第2代会長・戸田城聖先生の誕生日だった。池田先生は、交友録にこう記した。「南アの『夜明け』に喝采を送りながら、私は同じく巌窟王であった恩師を偲んだ」


〈マンデラ氏〉
どんな相手でも、考え方は変わる。
だから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ。
 マンデラ氏にとって“闘争”は、釈放されてからが本番だった。収監当時、働き盛りの44歳だった年齢は70歳を過ぎていた。
 
 人種対立は深刻の度を増し、暴力が激化するなど、課題は山積み。黒人の復讐が始まるとの懸念が広がったが、氏は対話の力で融和の道を探った。
 
 「どんな相手でも、たとえ看守だろうと、考えかたが変わる余地はあるのだから、あらゆる手段を尽くして揺り動かしていくべきなのだ」――これが監獄の中で培った氏の確信であった。
 
 粘り強い対話の末、1991年にアパルトヘイト関連法が廃止に。94年には南アフリカ初の全人種参加の選挙が実施され、マンデラ氏が大統領に選出される。氏は就任式で訴えた。
 
 「絶対に、二度とふたたび、この美しい国で、人が人を抑圧するようなことがくり返されてはなりません」
 
 “交渉による革命”は成し遂げられた。しかし、人種間にはぬぐいがたい不信が残ったままだった。そこで氏は、黒人解放運動のシンボルである歌とアパルトヘイト時代の国歌をつなぎ合わせた新国歌の作成や、新たな国旗の制定など「あらゆる手段」を講じていく。

〈マンデラ氏を語る池田先生〉
人生には、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもある。
嘆かず、腐らず、焦らず、「じっとこらえて今に見ろ」と不屈の旗を振り通していくことだ。
 池田先生に会うために、マンデラ氏が東京・信濃町の旧・聖教新聞本社を訪れたのは、1990年10月31日。釈放から8カ月後のことであり、会見は氏のたっての願いだった。


池田先生が500人の青年と共に、人権の闘士・マンデラ氏を歓迎。創大生が歌う南アフリカの愛唱歌に“マンデラ・スマイル”が輝いた(1990年10月31日、旧・聖教新聞本社で)
 氏の言葉や生き方を通し、先生は友に語り残してきた。
 
 「マンデラ氏は、身近なところから、敵をも味方にしていったのである。地道といえば、じつに地道である。しかし、こうした地道な対話のなかにこそ、勝利の栄光は築かれていく。牧口先生、戸田先生もまた、獄中にあって、果敢に仏法を語られた。そして、看守や検事にも、仏縁を広げられた」(95年6月12日、栃木・茨城代表協議会でのスピーチ)
 
 「人生の行路にあっては、思うにまかせぬ境遇に立たされる時が幾たびもあります。その時が勝負です。嘆かず、腐らず、焦らず、『じっとこらえて今に見ろ』と不屈の旗を振り通していくことです。必ず、そこから反転攻勢の流れを起こせるからです」(2012年3月21日、創価大学・女子短大卒業式へのメッセージ)
 
 大いなる理想がある限り、いつでもどこでも、何歳からでも、希望を紡ぎ出すことはできる。巌窟王の不屈の歩みは、それを私たちに教えてくれている。
 
 ――90年の訪日で最もうれしかったのは「池田SGI会長にお会いしたことです」と語った氏。そして、言葉を継いだ。
 
 「その際、若い学生の方々らが温かく迎えてくださり、歌まで歌ってくださった。私は、27年間、囚われの身で戦ってきましたが、“これで、その努力が報われた”と思いました」
 
 忘れ得ぬ出会いから30年。昨日が、その記念日である。 


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