【創造する希望――池田先生の大学・学術機関講演に学ぶ】
第5回 イタリア・ボローニャ大学
「レオナルドの眼と人類の議会――国連の未来についての考察」
〈1994年6月1日〉
●イタリア・ボローニャ大学で講演を行う池田先生。聴講者からは「きょうほど、このボローニャが輝いたことはない」と称賛の声が。同大学からは、名誉博士の証しである「ドクター・リング」が授与された(1994年6月1日)
私は、国連にまつわるグローバルな課題を考えるのに、このボローニャほど格好な天地はなかろうとの感慨をもつ一人であります。5年前に東京で、総長、副総長と会談した際にも申し上げたことでありますが、主権国家の枠組みを超え、国連にグローバルな地平をもたらしていくには、貴大学の900年の伝統に脈打っている「普遍性」「国際性」の気風こそ、まことに貴重な財産であると思うからであります。
●国連活性化の実現へ「精神の基盤」を構築
ゆえに、本日は、国連改革の具体的側面というよりも、この“人類の議会”を活性化していくための精神的基盤、その担い手たる世界市民のエートス(道徳的気風)といった、理念的側面を考察させていただきたいのであります。
なかんずく、貴国の偉大なる文化への敬意と感謝の思いを込めて、イタリア・ルネサンスの生んだ“万能の天さ才”レオナルド・ダ・ヴィンチにスポット・ライトを当てながら、「自己を統御する意志」と「間断なき飛翔」の2点に論及させていただきたいと思います。なぜなら、国連というグローバルなシステムの本質は、あくまで、協調と対話を機軸とするソフト・パワーという点にあり、そのパワーを強化していくには、迂遠のようでも精神面、理念面での裏打ちが不可欠だからであります。
近くは、ボスニア情勢に見られるように、ぎりぎりハード・パワーの選択の局面があったとしても、国連の第一義的使命が、どこまでもソフト・パワーにあることは異論の余地がありません。
明年、創設50周年を迎える国連の歴史は、短いといえば短い。長い人類の歴史から見れば、緒についたばかりともいえます。しかし、あまりにも短命に終わった、あの国際連盟の悲運を考えれば、国連の半世紀の歩みは、決して軽視されてはならない。
とりわけ、米ソ冷戦の終結とともに、PKO(平和維持活動)など国連の動きは、見違えるように活発化し、ようやく、創設時の精神が機能しはじめた、といわれる昨今、この流れを、何としても希望の21世紀へと繋いでいかねばならないからであります。
半世紀前の国連創設の立役者は、いうまでもなくアメリカのルーズベルト大統領であります。
彼は、同じく国際連盟の旗振り役であったウィルソン大統領の志を継ぎ、理想主義、国際主義、人道主義を掲げました。
その信念が、国連創設の精神となり、原動力となったことは周知の史実であります。
スターリンやチャーチルなどの強者を相手に、倦まず、普遍的安全保障の理想を説き続ける、その姿を、ある後世の史家は、なかば揶揄を込めて、「宇宙的ヒューマニズム」と呼んだそうであります。
確かに、その後の冷戦下での国連機能の形骸化を見れば、揶揄されても仕方のない面があったかもしれません。しかし、歳月の淘汰作用には、まことに測れないものがあります。
今、創設時の精神への回帰と復興がいわれるなか、「宇宙的ヒューマニズム」は、決して、絵空事でも夢想でもなくなりつつあるのであります。
●世俗的規範を超出しゆく「自由の境地」
さて、我々がレオナルドに学び、継承していくべき第一の点は、「自己を統御する意志」ということではないでしょうか。
レオナルドは独立不羈の自由人であり、宗教や倫理の規範から自由であるのみならず、祖国、家庭、友人、知人といった人間社会のしがらみにも束縛されぬ、孤高の世界市民でありました。
ご存じのとおり、彼は庶子であり、独身を貫いたその生涯から、家族の痕跡を見いだすことは稀で、祖国フィレンツェ共和国への愛着もまた、はなはだ希薄でありました。
祖国での修業時代を終えると、躊躇なくミラノへ赴き、君主イル・モーロのもとで十数年を過ごす。君主の没落後は、短期間、チェーザレ・ボルジアと組んだあと、フィレンツェ、ローマ、ミラノと居を移しながら我が道を歩み続け、晩年はフランス王の招きに応じ、かの地で生涯を終えています。彼は、決して冷淡な人間ではなく、徳性に欠けるわけでもなかったが、その一生は、ともかく己の欲するところに、ひたすら忠実な“超俗”の風格に貫かれております。
いかなる挙措や出処進退にあたっても、レオナルドは、祖国愛や敵味方、善悪、美醜、利害などの世俗的規範には、ほとんど関心を示さず、それらを超出した境地を志向し続けている。名誉や金銭をもっての誘いなど、どこ吹く風とし、さりとて権力の意向にあえて逆らおうともせず、己が関心事のみを追い続けるその歩みは、二君に仕えずといった世俗的倫理とはおよそ無関係でありました。
“謎の微笑”を浮かべる優美な女性像「モナ・リザ」の作者は、同時に、鬼神もひしぐ猛々しい戦士たちがせめぎ合う「アンギアリの戦い」の作者でもありました。
流水の模様に目を凝らし、植物の生態を見つめ、鳥の飛翔を分析するレオナルドは、同時に死刑囚の顔を食い入るように凝視し、解剖のメスを振るうレオナルドでもあったのであります。
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私どもは仏法を基調にして、国連支援をはじめ、様々な平和・文化運動を推進しております。
それは、端的に、「人間革命を第一義に社会の変革へ」と標榜しておりますが、レオナルドにおける「自己を統御する意志」は、私どもの「人間革命」と深く通じていると私は信じております。
制度や環境など、人間の“外面”にのみ、目を向け続け、あげくの果ては民族紛争の噴出する惨憺たる結末を迎えている、世紀末の人類にとって、自己の“内面”をどう統御するかというところから出発するレオナルド的命題は、ますます重みを増してくるであろうと、私は確信しております。