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2020.10.21-6(2)

2020年10月20日 (火) 15:14
2020.10.21

ブラジル広布60周年――師と共に歩んだ歴史
 ブラジルの格言に、こうある。
 「逆境が英雄をつくる」
 ブラジルの同志もまた、障壁が立ちはだかるたびに師弟の絆を強めながら、世界広布の王者として模範の前進を続けてきた。

1960年10月、池田先生がブラジルを初訪問。その折、先生は新任の幹部に“リーダーとして大切なのは後に続く同志のために、ブラジルの土になるのだという決意である”と語った
 池田先生がブラジルを初訪問したのは1960年10月19日。日本の約23倍という広大な国土に、当時は100世帯ほどの会員が点在しているだけだった。日本から移住した彼らは、誰もが貧困や差別などで過酷な生活を強いられていた。
 この訪伯前、先生は滞在先のアメリカで体調を崩していた。初の海外指導は、北南米の3カ国9都市を24日間で回る強行軍。同行者からは、ブラジル行きを止められた。しかし先生は毅然と答えた。
 「私を待っている同志がいる……行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」
 会員のためならば、命をもなげうつ。深い覚悟をもって入国した先生の励ましに触れ、草創の友は奮い立ち、広布開拓に走った。

●1966年3月、2度目の訪問。友に“強い、強い団結のブラジル、楽しい、楽しい信心のブラジルに”と呼び掛けた

 先生の2度目の訪問は66年3月。わずか5年半の間で、同国の会員は約8000世帯へと躍進を遂げていた。
 74年にも訪伯する予定があったが、軍事政権下で学会に対する誤解もあり、ビザが発給されず、入国できなかった。先生は電話越しで現地のリーダーに言った。「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」
 以来、同志は「ムイト・マイス・ダイモク(もっとたくさん題目を)!」を合言葉に新たな挑戦を開始。良き市民を目指し、社会貢献に励んできた。
 翌75年、ブラジルSGIはブラジリア連邦区の要請を受け、文化祭を開催。その模様が新聞に大きく報じられ、徐々に社会の見方が変わっていく。


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