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きょう10月18日は、民主音楽協会(民音)の創立記念日である。
1963年(昭和38年)のこの日、民音による創立記念演奏会が東京・文京公会堂(当時)で開催された。開幕を告げたのは、アメリカの行進曲「錨を上げて」。軽快な音色が会場に響き、“音楽の力で世界を結ぶ”大航海が始まった。
創立者・池田大作先生が民音の設立構想を示したのは、この2年前の61年(同36年)2月。「真実の世界平和の基盤となるのは、民族や国家、イデオロギーを超えた、人間と人間の交流による相互理解です。そのために必要なのは、芸術、文化の交流ではないだろうか」――先生は初のアジア歴訪でビルマ(現ミャンマー)を訪れた翌日、タイの地でそう語った。
ビルマは、先生の長兄が太平洋戦争で命を落とした地。終戦から15年半、“人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築くには何が必要か”と思索を重ねた末の一つの結論が、民音の創立であった。
青春時代、激闘の中、いとまを見つけて仲間と共にレコードを聴くなど、音楽芸術に親しんできた池田先生。「庶民が“下駄履き”で行けるコンサートをつくろうよ」と、民音の設立準備に当たる若いスタッフに語るなど、民衆に一流の文化を届ける、理想の未来図を思い描いた。
民音は65年(同40年)、海外から初の招へいとなるイスラエルのピアニストのステージを実現。翌年には東西冷戦の中でソ連(当時)のノボシビルスク・バレエ団を招へいするなど、世界五大州から、さまざまなジャンルの有名アーティストらを日本に招いた。
さらに、古代のシルクロードにまつわる国々の音楽家が一堂に会する「シルクロード音楽の旅」や、アルゼンチン・タンゴの巨匠を招く「民音タンゴ・シリーズ」、中国の京劇や雑技団を紹介する舞台などを通じ、交流国数は現在までに110カ国・地域に上る。
中でも、先生が直接、交渉に携わって実現したオペラの至宝「ミラノ・スカラ座」初来日公演(81年)は当初、“実現したら奇跡”とさえいわれ、今なお音楽関係者の間で語り草となっている。