【風見鶏】中曽根戦略ふたたび?
日本経済新聞 朝刊
2020/10/18
その中曽根内閣の足跡を振り返ると、発足当時の評判は散々だった。角福戦争のさなか、1979年の四十日抗争では福田赳夫氏に味方したのに、翌80年のハプニング解散では田中角栄氏の側についた。
「風見鶏」と皮肉られた寝返り劇によって、首相になれたのだが、女房役の官房長官を田中派から起用したのには、身内の中曽根派の面々まであっけにとられた。「田中曽根内閣」「直角内閣」といった見出しが紙面に躍った。
首相退任後に「批判ばかりされて、悔しくなかったですか」と尋ねたことがある。「なってしまえばこっちのもの」との答えが返ってきた。
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なってしまった中曽根氏は自立へと動き出した。ひとつは、政治家としての悲願であった憲法改正を封印し、もっと身近な改革に取り組んだことだ。国鉄の民営化はスト続きにうんざりしていた国民に歓迎され、内閣支持率は徐々に持ち直した。これを「行革グライダー」と称した。
ふたつめが、世代交代である。田中派の領袖だった二階堂進氏よりも格下の金丸信氏や竹下登氏を登用した。実力を蓄えた金丸、竹下両氏はクーデター的に田中派を乗っ取り、中曽根内閣の支柱となった。
中曽根氏はほかの派閥にも手を突っ込んだ。安倍晋太郎氏や宮沢喜一氏をポストに就け、領袖だった福田氏や鈴木善幸氏の権勢をそいだ。竹下、安倍、宮沢3氏をメディアはニューリーダーと呼んだ。
以上は昔話だが、いまの政治情勢と似ていなくもない。菅義偉首相には無派閥議員を束ねた「隠れ菅派」的な応援団がいるが、最大派閥に支えられていた安倍晋三前首相ほどの党内基盤はない。
まずは携帯電話料金の引き下げといった家計に直結する施策に取り組み、世論を味方に引き寄せる。発想が中曽根流である。
ふたつめはどうか。安倍内閣が長く続いたことで、自民党の権力構造はこのところ大変わりせずにきた。領袖になっていちばん長いのは麻生太郎副総理・財務相で、2006年から務めている。
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最大派閥の細田派は後継候補が定まっていない。自民党政調会長になった下村博文氏、閣僚に再任された西村康稔氏や萩生田光一氏ら多士済々だ。菅首相の立ち振る舞いが内紛を誘発するかもしれない。
こんな政局模様を中曽根氏は空の上からどう見ているだろうか。そんなことを考えながら手を合わせた。