??????
◎池田大作研究/佐藤優氏(第39回)
『七つの鐘が鳴り終わり 世界宗教へ新な歩み』
言論問題を通し、池田は創価学会という組織が、より寛容になることが大事だと総括した。
さらに価値観の乖離した宗門と訣別し、世界宗教化への舵を切った。
その過程で指針としたのが「七つの鐘」という時代区分だ。
●強い信仰を持つ者は 寛容になることができる
「言論の自由を守り抜くことを、私どもの創意として確認したい」
●宗門との間に生じた軋轢 基本的価値観の対立
「以上のように創価学会と公明党を分離していくことを提案いたしますが、賛成の方は、挙手願います」
「王仏冥合」(おうぶつみょうごう)とは、王法と仏法が冥合する(奥底(おうてい)で合致する)ことで、制度的な一体化ではなく、社会を建設する人間一人ひとりの生き方の根底に、仏法の哲理、慈悲の精神が確立されていくことを意味する。
行き過ぎた政教分離によって、一部の公明党幹部が、創価学会の価値観から乖離した行動を取るようになった。この人たちは、公明党幹部次代は創価学会員でもあったが、後に公明党からも創価学会からも離れ、ジャーナリズムで創価学会を非難するようになった。価値観政党として公明党が存続するために本来の意味での王仏冥合は不可欠なのだ。
もっともこの行き過ぎた政教分離も、2014年の公明党結党50年の機会に刊行された『大衆とともに――公明党を50年の歩み 増訂版』の序文で公明党代表の山口那津男が〈公明党は1964(昭和39)年11月17日に、池田大作創価学会会長(当時)の発意によって結成された。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」………〉と明言した後、克復されつつある。現在は、公明党の会合で、創価学会や池田の価値観について言及する議院や党員が増えてきた。言論問題によるトラウマである行き過ぎた政教分離を創価学会と公明党が克復するのに40年以上がかかったのである。
1977年に入ると日蓮正宗の宗門僧が創価学会に対する攻撃をはじめた。僧侶が「上」、一般信徒が「下」という宗門の価値観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆的宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった。
●世界宗教化のために 宗門との訣別は不可欠
長崎支部結成22周年の記念幹部会、さらに福岡での指導を経て、………まさに、長崎に降り立った時から、先生の「反転攻勢の助走」が始まったのです。
●1980年から始まる5年刻みの新たな歩み
キリスト教も世界宗教に発展するためにはユダヤ教から決別することが不可欠だった。初期のキリスト教徒の多くは、信者になるために割礼(かつれい)が不可欠と考えていた。ユダヤ教の残滓(ざんし)から訣別することができなかったからだ。パウロが、エルサレムの宗教会議で、信徒になるために割礼は不要であるとの立場を明確にすることで、キリスト教はユダヤ教から魂の独立を獲得した。
☆「割礼(かつれい)」
割礼(かつれい)とは、男子の性器の包皮の一部を切除する風習。本項では主に文化・宗教との関わりについて述べる。
女性器切除(female circumcision)を『女子割礼』と称す事があるが、男性の割礼(circumcision)とは宗教的背景が異なる。また、男子の割礼が比較的無害であるのに対し、女性器切除は生死に関わる負担や生涯にわたる苦痛などの理由で先進国では悪習と批判されている。
☆「決別」と「訣別」
「訣別」の「訣」が当用漢字にならなかったために「決別」と書き替えました。それだけのことです。??