◎母成峠の戦い(ぼなりとうげのたたかい、慶応4年8月21日(グレゴリオ暦1868年10月6日))は、会津戦争(戊辰戦争)の戦いの一つである。会津藩境の母成峠[1](現・福島県郡山市・猪苗代町)を守る旧幕府軍800が新政府軍2,200と戦うが、兵力及び兵器の差で勝てず敗走し、新政府軍は若松城下に殺到する結果となった。
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0186〜0237 開目抄 0204:17〜0206:14
第30章 昔の弾訶を引証す
講義
提婆達多が仏に敵をなしたということもおもしろいことである。提婆達多は、過去においては、阿私仙人といって、釈尊の師匠であった。しかるに、このたび釈尊化導の終わりとして出世するに当たり、かれもまた、ともに出世して仏敵の総大将となり、仏罰をこうむって仏威を助けた、じつにおもしろき因縁ではないか。最高の南無妙法蓮華経の境涯よりすれば、善悪一如というべきか。
また婆羅門が仏教に敵したということも、仏教興隆の前提であって、婆羅門なくんば、仏教があれほどすみやかに盛んにならなかったであろう、かく観ずれば、今日、日蓮宗に似たる偽仏教が山ほどできているのも、真実の仏教たる三大秘法の本尊流布の前提か。